宮腰町(読み)みやのこしまち

日本歴史地名大系 「宮腰町」の解説

宮腰町
みやのこしまち

[現在地名]金沢市金石本町かないわほんまち金石東かないわひがし一―三丁目・金石西かないわにし一―四丁目・金石北かないわきた一―四丁目・金石相生町かないわあいおいちよう

犀川河口右岸に位置し、日本海に面する中世以来の湊町。北東の大野おおの川河口に大野村(大野町)がある。江戸時代以前の犀川・大野川は当地近辺で合流、一流となって日本海に注いでいたと伝え、慶安年間(一六四八―五二)頃に分離されたらしい(「寛政詮議書」加越能文庫)。分離により大野川は当地と大野町の境を西流するようになり、のちさらに無量寺むりようじ村から北西流するように付替えられた。この二河川分離により新しい大野湊ができ、金沢城下の外港として藩の保護下にあった宮腰湊としだいに発展する大野湊との間で、江戸時代を通じしばしば紛争があった。

〔中世〕

中世には臨川りんせん(現京都市右京区)大野庄赤土あかつち村のうち(→大野庄。「源平盛衰記」巻二九(平家礪並志雄二手事)に、志雄しお山へ向かった平氏軍の搦手勢は白生しらお(白尾、現七塚町)を過ぎても「大野・徳蔵・宮腰」まで続いていたという。また同書巻二九(礪並山合戦事)にも、礪波となみ(倶利伽羅山)から敗走した平氏軍が「宮腰佐良嶽ノ浜ニ陣ヲ取」とある。長寛元年(一一六三)に原形が成立した「白山之記」に、白山宮の有力末社佐那武さなたけ(現大野湊神社)が「大野庄在之」とあるが、同書の正応四年(一二九一)書写までに増補された部分では「宮腰」と注記されている。地名の由来は佐那武社の旧社地とされる「佐良嶽」の麓をさすといわれる(加賀志徴)

正和元年(一三一二)頃の白山水引神人沙汰進分注文案(三宮古記)によれば、宮腰は白山宮に水引幕を上納していた紺掻業者の分布地の一つにあげられ、他の分布地からは現物の紺一―三端が上納されているのに対し、「代成用途二百文」を納入している。この分布地は北陸道筋と交わるかたちで白山宮―野市ののいち(現野々市町)―宮腰を結ぶ流通路の存在を示し、これを白山宮が掌握していたとされる(普正寺)。「義経記」巻七(平泉寺御見物の事)に弁慶が白山宮参拝後に富樫とがし(室町時代は野市に所在)に立寄り、先行した義経を追って宮腰へ行くが会えず、大野の湊で追いついたとあるのはその反映であろう。正応四年加賀に遊行中の他阿真教は海岸沿いに北上し、今湊いまみなと藤塚ふじつか(現美川町)から小河(手取川)を越えて宮腰へ向かっている(一遍上人絵詞伝)。時衆過去帳(清浄光寺蔵)によれば、一五代遊行上人尊恵の条に「一切法界衆生」「重阿弥陀仏」「住一房」、一七代暉幽の条に「覚阿弥陀仏」など宮腰の時衆がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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