改訂新版 世界大百科事典 「宮野荘」の意味・わかりやすい解説
宮野荘 (みやののしょう)
周防国吉敷郡(現,山口県山口市宮野)の荘園。元来周防三宮仁壁神社神前の地で公領に属した。鎌倉時代初期の東大寺再建にあたり,周防国は造営料国となり,公領は大勧進職俊乗坊重源の支配下に入った。重源は彼を補佐した宋人陳和卿(ちんなけい)に当地を給し,さらに陳和卿より1195年(建久6)東大寺に寄進されるに及び,重源は朝廷に申請して当地を寺領宮野荘として立券した。当荘は田畠118町5段,荒野53町5段,計172町,在家31宇の規模をもち,所当年貢米105石5斗と二ヶ日饗膳料は4月以前に寺納され,五十口学生供衆の講経供料に配分された。当荘では,惣東大寺が本家職を,重源が領家職を,陳和卿が預所職を保有し,後に領家職が預所職を吸収し実質的な荘経営の主体となる。領家職は,重源より東南院に譲られ,中断はあるものの当院に相承された。鎌倉時代後期より当荘地頭職をもつ大内氏の押領が進み,南北朝時代以降東大寺の支配を離れた。
執筆者:永村 真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報