寄田村(読み)よしたむら

日本歴史地名大系 「寄田村」の解説

寄田村
よしたむら

[現在地名]川内市寄田町よりたちよう

高江たかえ久見崎ぐみざき村の南にあり、東は同郷高江村、南は日置郡串木野郷羽島はしま(現串木野市)、西は海に面する。ほぼ中央部をとどろき川が北西流して海に入り、南境を土川つちかわ川が流れる。村名は明治中期頃まで「よした」とよばれ、現在も地元では「よした」とよぶ。「宮之城記」所収の建久四年(一一九三)の薩摩国諸郡注文には薩摩郡分としてあげられる六名のなかに寄田名がある。正応元年(一二八八)一〇月五日の栄英・栄海連署譲状(旧記雑録)によれば、かんむり嶽霊山寺(現串木野市)領の寄田浦内塩入しおいり一町が、同寺別当栄英から雑掌用途を多く助成した出羽阿闍梨栄増に譲与された。この水田一町の内訳早田・荒田各五反ずつであった。応永一四年(一四〇七)八月二一日総州家の島津忠朝が冠嶽三所権現に立願した際、寄田塩入の本寄進分を返却し、さらに一所を寄進することを約している(「島津忠朝立願文」同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む