高江郷(読み)たかえごう

日本歴史地名大系 「高江郷」の解説

高江郷
たかえごう

川内川河口南岸を占める薩摩郡の郷。東は同郡隈之くまのじよう郷、南は日置郡串木野郷、北は川内川を隔てて高城たき水引みずひき郷。

〔中世〕

天正二年(一五七四)一〇月一二日朝、高江大泉坊の弟子が島津中納言(義久)のもとに参じ一〇〇疋を進上した。同月一七日高江の地頭とみられる山田新介(有信)から、高江にいる有馬名字・瀬戸口名字の人を何方へも移すよう依頼があった。また川辺にいる有田方を高江へ移すことが決まったのに伴い、川辺に懸持で所持する知行地と高江にある加世田の順阿弥懸持の門三反とを召替えられるよう願出ている。一九日には新介から触田与七左衛門尉を高江に移すことが進言されたが、同人は帖佐ちようさ(現姶良町)へ移ることが決まっているので実現しなかった(上井覚兼日記)。同四年八月の日向高原たかはる(現宮崎県高原町)攻めの際、高江衆は島津忠平(義弘)の手勢として加わっている(同書同月一八日条)。同八年の肥後合戦陣立日記(旧記雑録)には、島津義久の陣に加わった諸地頭衆に高江の野村市右衛門(清綱)の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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