富士宿町
ふじじゆくまち
[現在地名]岩槻市城町一―二丁目・府内一―二丁目
城下惣構の諏訪口から南に延びる越ヶ谷道沿いに発達した町で、南東方向に新曲輪町への道が分岐する(大岡氏時代の岩槻城惣絵図)。戦国時代頃の成立と推定される市場之祭文写(武州文書)に「武州崎西郡岩付ふち宿市祭」とみえ、古い町である。明暦二年(一六五六)の騎西庄岩付領富士宿町検地帳(高橋家文書)によると、当町住民の耕作地のうち東原地分は上畑三町一反余・中畑四町三反余・下畑一〇町六反余・下々畑九反余で、分米は計一三四石余。宝永六年(一七〇九)の岩槻各町宗門人別惣高(勝田家文書)によると男一四二・女一三八。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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