富川町(読み)とみかわちよう

日本歴史地名大系 「富川町」の解説

富川町
とみかわちよう

[現在地名]江東区森下もりした四―五丁目

新大しんおお橋から幕府御籾蔵の南側を東西に走る通りに沿って、三ヵ所ほどに点在する町屋深川富川ふかがわとみかわ町とも称した。周囲は小名木おなぎ川沿いに田安中納言下屋敷(蔵屋敷)・常陸土浦藩土屋家下屋敷・和泉岸和田藩岡部家中屋敷といった大名屋敷が立並び、その北側も神保家はじめ旗本・御家人の武家地に囲まれている。文政町方書上によると、もとは西葛西にしかさい領深川町分郷六間堀ろつけんぼりの内で代官支配であった。正徳三年(一七一三)より町奉行・代官の両支配で反別は一町五反余。町内総間数は田舎間で二五六間余・総坪数四千五八七坪。家数一八八、うち家持五・家守八・店借一七五。町域西方の神保家屋敷地辺りを神保前、南方の田安家付近を田安前、土屋家前を土屋前と通称。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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