大名屋敷(読み)だいみょうやしき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大名屋敷
だいみょうやしき

江戸時代,大名が江戸に参勤したときのために幕府より与えられた宅地。もと外桜田にあったが,江戸の発展につれてその数もふえていった。明暦の大火 (1657) のときには五百余の屋敷が焼失したといわれる。その後,上屋敷 (大名の本邸) のほか江戸市街拡張計画の一環として,大名屋敷の引替えと火災などの避難場所として中・下屋敷も下賜された。京都,大坂,長崎などにも大名屋敷をおく大名が多かった。大名屋敷には留守居役が常駐した。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

大名屋敷

上屋敷は、参勤交代で江戸に詰めた大名が平時暮らした本釘中、下屋敷はその控えで、中屋敷は主に次期藩主や隠居した前藩主が暮らした。下屋敷は江戸時代では郊外に位置し、現在でいう別荘のような性格をもつ。江戸城からの距離で近い順に上・中・下と区別した。

(2006-10-21 朝日新聞 朝刊 都 2地方)

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百科事典マイペディアの解説

大名屋敷【だいみょうやしき】

江戸時代,参勤交代で江戸居住を強制された大名に対して幕府が与えた居宅。藩主の正妻や嫡子が定住する。江戸藩邸ともいい,藩にとっては江戸藩庁,江戸詰藩士の居所でもあった。都市生活の発展とともに数も多くなり,本邸である上(かみ)屋敷のほか中(なか)屋敷下(しも)屋敷を数ヵ所にもつものもいた。
→関連項目武者窓明暦の大火

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世界大百科事典 第2版の解説

だいみょうやしき【大名屋敷】

江戸府内および近郊に置かれた諸大名の屋敷。当初は外様大名の妻子在府にはじまり幕府も屋敷地を適宜賜与していたが,1635年(寛永12)参勤交代制の確立以来,諸大名の江戸藩邸の設置が一般化し計画的な配置が行われるようになった。とくに明暦大火(1657)後,屋敷を上・中・下に分け,上屋敷は原則として西丸下,丸の内,外桜田,愛宕下に,中屋敷は江戸城外郭の内縁に沿う範囲に,下屋敷は近郊に与えられた。これら幕府からの拝領屋敷のほかに,百姓地を買収した抱屋敷のある場合もあった。

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大辞林 第三版の解説

だいみょうやしき【大名屋敷】

江戸時代、江戸に参勤する大名に与えられた宅地。普通、大名は江戸に二~五か所屋敷を持ち、本邸を上かみ屋敷と呼んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大名屋敷
だいみょうやしき

参勤交代によって江戸に参勤する大名に与えられた屋敷。初めは標準とか基準といったものはなく、幕府も屋敷地の下付(かふ)を申請した大名に対して任意に屋敷地を与えた。ところが、1635年(寛永12)の改訂「武家諸法度(ぶけしょはっと)」において、参勤交代が制度化し、諸大名の江戸屋敷の設置が一般化すると、計画的な屋敷割りが必要となり、しだいに屋敷地の再配置が行われるようになった。幕府は政治機構の整備に対応して、江戸城を完成する一方、外郭(そとくるわ)の西の丸下は老中・若年寄(わかどしより)などの官邸街に、神田橋門内から道三堀(どうさんぼり)のあたり竜(たつ)ノ口(くち)にかけては、大老・老中などの屋敷や伝奏(てんそう)屋敷のような官庁街にしたため、丸ノ内、霞(かすみ)ヶ関、永田町一帯が大名の屋敷街となった。[藤野 保]

上屋敷・中屋敷・下屋敷

1657年(明暦3)の江戸大火を契機に、幕府は江戸の都市計画をたて、江戸城内にあった御三家(ごさんけ)(尾張(おわり)、紀伊、水戸)をはじめ、幕府の重臣の屋敷を城外に移すとともに、大名屋敷を上(かみ)屋敷、中(なか)屋敷、下(しも)屋敷の三つに分け、上屋敷は西の丸下、丸ノ内や外桜田に集めておいて、登城や勤番に便利なようにし、中屋敷は外堀の内縁に沿った範囲に配置し、下屋敷は新しく江戸近郊(四谷(よつや)、駒込(こまごめ)、下谷(したや)、本所(ほんじょ)など)に与えた。上屋敷は居屋敷ともいい、大名とその妻子が住んだ。中屋敷はのち大名世嗣(せいし)の邸宅となり、下屋敷は別荘としての役割を果たしたが、大名によっては数か所もっている者もあった。[藤野 保]

留守居・当役

大名屋敷には、大名の妻子のほかに、幕府や諸大名の応接にあたる家臣が常住した。一般にその長を留守居(るすい)または江戸家老といい、藩の職制上重要な位置を占めた。しかも、参勤中になると、大名とともに国元から江戸勤番の家臣が住み、これに女中、中間(ちゅうげん)、小者(こもの)を加えると、大名屋敷の人数は多数に上った。毛利(もうり)氏の大名屋敷には、留守居のほかに、藩主の参勤に随行し、絶えずその左右にあって政務を行う重職に当役(とうやく)があり、その下に裏判(うらはん)役(享保(きょうほう)年間廃止)、用談役、手元役(てもとやく)、右筆(ゆうひつ)役、用所役、矢倉頭人(やぐらとうにん)、公儀人が置かれ、これを国元の国相府(こくしょうふ)に対して行相府(ぎょうしょうふ)とよんだ。これだけの多数の家臣団が江戸という大都会で消費生活を営んだため、大名屋敷の出費は巨額となり、大名行列に要する費用と相まって、大名財政の窮乏をきたす主因となった。大名屋敷でのやりくりは、諸大名の経済生活のなかで重要な課題の一つとなった。[藤野 保]

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精選版 日本国語大辞典の解説

だいみょう‐やしき ダイミャウ‥【大名屋敷】

〘名〙 江戸開府以来、江戸の府内・府外において与えられた諸大名の屋敷。明暦の大火(一六五七)で焼失した大名屋敷は五百余あるが、大火後は多く府外に替屋敷が与えられ、また江戸詰の家中用や非常時の備えとして中・下(しも)屋敷を下付される大名が多くなったため、一大名が二~五か所の屋敷を持つようになった。屋敷は大名の知行・格式によって規模を異にしたが、中期以降、大名屋敷は江戸総地積の五〇パーセント以上を占めるに至った。
※歌舞伎・三十石艠始(1759)四幕「向う金襖、二重舞台、屋体入込、大名屋敷(ダイミャウヤシキ)の体、好みあり」

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