富張村(読み)とみはりむら

日本歴史地名大系 「富張村」の解説

富張村
とみはりむら

[現在地名]都賀町富張

大橋おおはし村の北東に位置し、村内を赤津あかづ川が流れる。北方の西方にしかた郷中部から延びる神楽かぐら岡の北部にある観音堂かんのんどう遺跡から、古墳時代の二九基の竪穴住居跡が発掘されている。源義家が遠見張をこの丘陵地に置いたことから地名が生じたと伝える。室町期に皆川氏が深沢ふかさわ布袋ほていおか城の前衛として築いたという神楽岡(富張城)があり、本丸跡とみられる郭の南端側に土塁の跡が残る。慶長五年(一六〇〇)頃より西方藩領とされる。慶安郷帳では田四八一石余・畑二七一石余で武蔵岩槻藩領。元禄郷帳では高一千一九石余で旗本横山領、以後領主は変わらない。改革組合村では家数八四。慶応二年(一八六六)の家数六五・人数四二〇(「取調書」中島清文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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