デジタル大辞泉 「富樫広蔭」の意味・読み・例文・類語 とがし‐ひろかげ【富樫広蔭】 [1793~1873]江戸末期の国学者。紀伊の人。本居大平・春庭に学ぶ。「詞の玉襷」「詞の玉橋」などの著で、すぐれた品詞論を遺した。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「富樫広蔭」の意味・読み・例文・類語 とがし‐ひろかげ【富樫広蔭】 江戸末期の国語学者。号は言幸舎(ことさちのや)。和歌山の人。本居大平・春庭の門に入って学ぶ。国語の品詞論において卓越した業績を遺す。著「辞玉襷(てにをはたまだすき)」「詞玉橋」など。寛政五~明治六年(一七九三‐一八七三) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富樫広蔭」の解説 富樫広蔭 とがし-ひろかげ ⇒鬼島広蔭(きじま-ひろかげ) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の富樫広蔭の言及 【音義説】より …しかし,前提に誤りの存することを認めず,いたずらにかってな解釈をおし進めたので,それは江戸時代の後期,単に一部の国学者によって熱心に唱えられただけで終わった。この立場の最も徹底した代表者は,富樫(とがし)広蔭と堀秀成である。秀成はその学問的生涯を音義説にささげ,これに関する多くの著述を残した。… ※「富樫広蔭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by