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本居春庭 もとおり はるにわ

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美術人名辞典の解説

本居春庭

江戸後期の国学者。幼名健蔵、のち健亭、号は後鈴屋。本居宣長の長男。伊勢国松阪生。32才で失明し、鍼術を業とした。家督を大平に継がせ、自らは宣長の学問を受継ぎ、『詞のやちまた』『詞乃通路』等、語学研究上の名著を出し、国語学史上不朽の貢献をした。門人に東条義門足代弘訓等がいる。文政11年(1828)歿、66才。

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デジタル大辞泉の解説

もとおり‐はるにわ〔もとをりはるには〕【本居春庭】

[1763~1828]江戸後期の国学者。伊勢の人。号、後鈴屋(のちのすずのや)。宣長の長男。眼病を患って失明したため、父の養子大平に家督を譲り、自らは鍼医(はりい)を業としながら歌道・国学を教授した。著「詞通路(ことばのかよいじ)」「詞八衢(ことばのやちまた)」「後鈴屋集」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本居春庭 もとおり-はるにわ

1763-1828 江戸時代後期の国学者。
宝暦13年2月3日生まれ。本居宣長(のりなが)の長男。眼病で32歳のとき失明。家督を父の養子大平(おおひら)にゆずり,松坂で鍼(はり)医の業のかたわら門人におしえる。父の国語研究をつぎ,文化3年動詞の活用体系を「詞八衢(ことばのやちまた)」にまとめた。文政11年11月7日死去。66歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。通称は健蔵,健亭。号は後鈴屋(のちのすずのや)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

本居春庭

没年:文政11.11.7(1828.12.13)
生年:宝暦13.2.3(1763.3.17)
江戸中・後期の国学者。本居宣長,妻かつの長男。幼名健蔵,のち健亭。号後鈴屋。伊勢松坂(松阪市)の生まれ。早くから英才教育を受け,13歳のとき賀茂真淵の『にひまなび』を写したが,当時より見事な筆蹟であった。15歳から作歌をし,18歳で松坂最大の歌会嶺松院歌会に参加した。天明6(1786)年より宣長の『古事記伝』の版下を書いていたが,29歳のとき眼病が発生,32歳で失明するに至った。猪川元貞に学んで鍼医を開業した。宣長の死後,本居家は養子の大平が継いだ。春庭は失明後も学問に励み,国語学史上の不朽の作『詞八衢』(1808)を著した。この書は宣長の所説を受けて,動詞の活用形とその体系を定めたもので,今日の文法体系の基本となった。文化6(1809)年,伊勢に後鈴屋社を組織,その人望を慕って多くの門人が集まった。春庭の学問大成には代筆を務めた妹美濃と妻壱岐の献身的な奉仕とパトロン殿村安守の物心両面にわたる援助が大きかった。門人は植松有信,鈴木朖,石塚竜麿をはじめ400名を超える。<参考文献>足立巻一『やちまた』上下,山田勘蔵『本居春庭

(飯倉洋一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

もとおりはるにわ【本居春庭】

1763‐1828(宝暦13‐文政11)
江戸後期の国学者。本居宣長の長子。幼名健蔵,のち健亭と改める。後鈴屋(のちのすずのや)と号す。眼病を患い32歳のときに失明,家督を大平(おおひら)に譲ったが,家人の助けを借りて添削,著述に従事し父の学を継承,門人も400人をこえた。とくに語学の研究にすぐれ,その著《詞八衢(ことばのやちまた)》《詞通路(ことばのかよいじ)》は用言研究の上に偉大な功績をたてた。《本居春庭全集》(《増補本居宣長全集》第11巻所収)がある。

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大辞林 第三版の解説

もとおりはるにわ【本居春庭】

1763~1828) 江戸後期の国学者。伊勢松阪の人。号、後鈴屋のちのすずのや。宣長の長男。父の学問を継ぎ、国語学史上に大きな功績を残した。眼病を患い失明したため家督を父の養子大平に譲り、自らは後進の指導に専念した。著「詞八衢」「詞通路」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

本居春庭
もとおりはるにわ

[生]宝暦13(1763).2.3. 津
[没]文政11(1828).11.7. 松坂
江戸時代後期の国学者。本居宣長の長子。宣長の学問を受継いだ。 33歳で失明し,父の没後は養子の本居大平 (おおひら) が家を継いだが,研究は衰えず,大平や門人の協力のもとに著作を完成した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

本居春庭
もとおりはるにわ
(1763―1828)

国学者。本居宣長(のりなが)の長子。幼名健蔵、のちに健亭、春庭と称した。眼病を患い、32歳のときに失明、ために家督を養子大平(おおひら)に譲った。本居大平が和歌山に居を移したのちは、松坂に父宣長の鈴屋(すずのや)の跡を継ぐ後鈴屋(のちのすずのや)社を組織し門人を育成した。眼病を患ったのち、針医を営むかたわら国学に励み、『詞(ことば)の八衢(やちまた)』『詞通路(ことばのかよいじ)』などの名著を世に出す。前者では、活用を体系的に分類・整備したことで鈴木朖(あきら)の『活語断続譜』の内容を前進させ、後者では、日本語の自動詞・他動詞の分類を、それまでの意味上のものから、文中の用法上のものへと発展させた新しいとらえ方を示す。[山口明穂]
『『本居春庭・大平全集』(『増補本居宣長全集11』1927・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の本居春庭の言及

【国語学】より

…すなわち,彼は,活用形を1等から7等までに分けて,これを図示した。本居春庭は,これを,さらに今日の六つに減じ,活用の種類を,五十音図の段によって整理した(《詞八衢(ことばのやちまた)》)。今日説くところの四段活用,二段活用,一段活用および変格活用の分類は,彼によってほぼその根幹が形づくられ,このような命名も,彼にさかのぼる。…

【詞八衢】より

本居春庭(もとおりはるにわ)による古語の研究書。1806年(文化3)成立。…

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