富田かね(読み)トミダ カネ

20世紀日本人名事典 「富田かね」の解説

富田 かね
トミダ カネ

明治〜昭和期の教育者 富田女子高等学校校長



生年
明治6年1月10日(1873年)

没年
昭和32(1957)年10月26日

出生地
岐阜県大野郡房島(現・揖斐川町)

学歴〔年〕
和洋裁縫伝習所卒

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和3年〕

経歴
上京して和洋裁縫伝習所に学ぶ。のち文部省検定により教員の資格を取得し、明治38年郷里に戻って岐阜県立高等女学校の教諭となった。間もなく私立による女子教育を志し、39年岐阜市に富田女学校を創立。以来、校長として学校の経営に当たったのみならず、自ら修身・家事・裁縫を教えた。やがて学校の施設を拡充させ、大正11年には富田高等女学校を併設。昭和20年戦災によって校舎が全焼するが、戦後すぐに学園の再建をはかり、22年学校を富田女子高等学校に改称、26年には学校法人富田学園を設立した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富田かね」の解説

富田かね とみだ-かね

1873-1957 明治-昭和時代の教育者。
明治6年1月10日生まれ。東京で和洋裁縫伝習所(現東京家政大)にまなぶ。明治38年岐阜高女の教諭となる。翌年岐阜市に富田女学校を創立し,大正11年富田高女を併設。昭和26年富田学園を設立した。昭和32年10月26日死去。84歳。岐阜県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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