朝日日本歴史人物事典 「富田知信」の解説
富田知信
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。通称は平右衛門。名は知信,信広,長家と何度か変えているが,一白の名で知られている。ただし一白が号なのかどうかは不明で,号としてはほかに水西がある。はじめ織田信長,本能寺の変ののち豊臣秀吉に仕え,天正12(1584)年の小牧・長久手の戦では伊勢神戸城の防衛に当たり,また織田信雄との講和交渉において奔走,この功によって秀吉から名馬星崎を与えられた。戦闘よりも外交面で手腕を発揮し,秀吉もその能力を高く買っていたらしい。天正16年には,奥州の伊達政宗に対し上洛を催促したりしており,秀吉の調略担当参謀としての色彩が濃厚であった。同18年,山城・近江・美濃で合わせて2万石余を与えられ,のち,伊勢において加増をうけ,最終的には文禄4(1595)年,伊勢安濃津城主6万石(一説に5万石)となり,最後は秀吉のお咄衆だった。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報