富美庄(読み)とみのしよう

日本歴史地名大系 「富美庄」の解説

富美庄
とみのしよう

庄域は判然としないが、神田かんだ神社の至徳四年(一三八七)銘の棟札に「(大)村」がみえるので、明治二二年(一八八九)成立以来の富村を遺称地とし、杣が付属することから周辺の山間部一帯までも含んだと推定される。当初は皇室領で、京都法金剛院(現右京区)領であった。

一三世紀中頃とされる宣陽門院所領目録(島田文書)に、鳥羽天皇皇女の上西門院より進められた新御領に庄名がみえ、貞和五年(一三四九)九月の光厳上皇所領処分状(中村直勝氏蒐集古文書)に法金剛院領とあって、光明天皇に譲られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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