広義門院(読み)こうぎもんいん

改訂新版 世界大百科事典 「広義門院」の意味・わかりやすい解説

広義門院 (こうぎもんいん)
生没年:1292-1357(正応5-正平12・延文2)

後伏見天皇の女御,花園天皇の准母。左大臣西園寺公衡の娘,母は藤原兼子。名は寧子。1306年(徳治1)上皇となっていた後伏見御所に上り,女御となって光厳・光明天皇珣子内親王を生んだ。09年(延慶2)院号宣下。36年(延元1・建武3)落飾,出家した。52年(正平7・文和1)足利義詮要請後光厳天皇践祚の令旨を出した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広義門院」の解説

広義門院 こうぎもんいん

1292-1357 鎌倉-南北朝時代,後伏見上皇の女御。
正応(しょうおう)5年生まれ。西園寺公衡(きんひら)の娘。母は卿局(きょうのつぼね)。光厳(こうごん)天皇,光明天皇らを生む。延慶(えんきょう)2年(1309)准三宮(じゅさんぐう)となり院号をゆるされ,のち出家。一時的に北朝の天皇が不在となった「正平(しょうへい)一統」後,足利義詮(よしあきら)の要請で光厳上皇の第2皇子を後光厳天皇として即位させた。延文2=正平12年閏(うるう)7月22日死去。66歳。名は寧子。

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朝日日本歴史人物事典 「広義門院」の解説

広義門院

没年:延文2/正平12.閏7.22(1357.9.6)
生年:正応5(1292)
鎌倉時代後期・南北朝時代の女院。名は寧子。後伏見上皇の女御。父は西園寺公衡。光厳・光明両天皇の母。延慶2(1309)年広義門院の号を宣下される。南北朝内乱なかで一時的に北朝が廃された観応2/正平6(1351)年の正平一統の翌年8月,新しい天皇を立てて北朝の再建をはかる足利尊氏に強要されて,孫の後光厳天皇を践祚させた。<参考文献>林屋辰三郎『内乱のなかの貴族/南北朝と「園太暦」の世界』

(森茂暁)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「広義門院」の意味・わかりやすい解説

広義門院
こうぎもんいん

[生]正応5(1292).京都
[没]正平12=延文2(1357).閏7.22. 京都
後伏見天皇の女御で花園天皇の准母。名は藤原寧子。父は左大臣西園寺公衡。母は従一位兼子。徳治1 (1306) 年上皇宮に入り,延慶2 (09) 年三宮に准じ,院号宣下。じゅん子内親王,光厳天皇,景仁親王,光明天皇を産む。

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