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葉室光忠 はむろ みつただ

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美術人名辞典の解説

葉室光忠

室町時代後期の公卿。教忠の子。父子ともども足利義視と昵懇であった。義視の子義稙が将軍になると重用され、幕府政務決裁の中枢を担った。正三位権大納言に至る。細川政元クーデターによって義稙は廃された。義稙が河内正覚寺で政元に投降した際、明応2年(1493)歿、52才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

葉室光忠 はむろ-みつただ

1441-1493 室町時代の公卿(くぎょう)。
嘉吉(かきつ)元年生まれ。長享2年(1488)参議。延徳2年足利義稙(よしたね)が10代将軍になると重用され,その推挙で正三位,権(ごんの)大納言にすすむ。明応2年義稙が細川政元(まさもと)に追放されると,同年閏(うるう)4月29日河内(かわち)(大阪府)正覚寺で政元の命により殺された。53歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

葉室光忠

没年:明応2.閏4.29(1493.6.13)
生年:嘉吉1(1441)
室町後期の公卿。権大納言教忠の子。父子ともども応仁の乱前から足利義視に親昵しており,乱中は西軍の陣中にあった。文明9(1477)年,父と共に朝廷・室町幕府に帰参したと思われる。延徳2(1490)年義視の子義材(義稙)が将軍になると重用され,申次つまりは将軍の意志の仲介者として幕府の政務決裁の中枢を担った。明応2(1493)年2月には義材の強引な推挙によって上首18人を越えて権大納言に昇進している。しかし同年4月,義材は細川政元のクーデタによって廃された。翌月25日義材が河内正覚寺で政元に投降すると,光忠は政元の命を受けた上原元秀の手で殺害された。

(末柄豊)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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