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光明天皇 こうみょうてんのう

百科事典マイペディアの解説

光明天皇【こうみょうてんのう】

後伏見天皇皇子。北朝第2代。足利尊氏の擁立で,1336年に即位。後醍醐天皇もこの即位をいったんは認めたものの,大和吉野へ潜幸して自らの皇位の正当性を主張,以後50余年の南北朝の対立が現出される。
→関連項目湊川の戦

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

光明天皇 こうみょうてんのう

1322*-1380 南北朝時代,北朝第2代天皇。在位1336-48。
元亨(げんこう)元年12月23日生まれ。後伏見天皇の皇子。母は藤原寧子(広義門院)。光厳(こうごん)天皇の同母弟。足利尊氏に擁立されて即位し,尊氏を征夷大将軍に任じた(室町幕府の開始)。吉野にのがれた後醍醐(ごだいご)天皇が南朝をひらき,南北朝対立の時代となる。北朝が一時南朝に屈した(正平(しょうへい)一統)直後仏門にはいった。康暦(こうりゃく)2=天授6年6月24日死去。60歳。墓所は大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は豊仁(とよひと)。法名は真常恵,真恵。別名に持明院殿,宇治殿。日記に「光明院御記」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

光明天皇

没年:康暦2/天授6.6.24(1380.7.26)
生年:元亨1.12.23(1322.1.11)
北朝第2代の天皇。父は後伏見天皇,母は前左大臣西園寺公衡の娘寧子(広義門院),光厳天皇は実兄。名は豊仁。建武3/延元1(1336)年6月,足利尊氏が楠木正成らを破り,後醍醐天皇は延暦寺に逃れた。この機に当たり,尊氏は光厳上皇に奏請し弟豊仁親王を践祚させたのである。一方,後醍醐天皇は吉野に遷幸し南北朝並立の時代となった。こうした中,光明天皇は,貞和4/正平3(1348)年,光厳上皇の皇子益仁親王に譲位し崇光天皇を誕生させた。しかし,文和4/正平10(1355)年に足利尊氏が南朝に降伏するに至り北朝が廃されると,仏門に入った。法名を真常恵という。のち光厳,崇光両上皇と共に南朝の拠点,吉野,河内などを転々と移されたが,帰京後は仏門に帰依する生活を送り大和国(奈良県)長谷寺で崩じた。自筆の日記『光明天皇宸記』が残されている。<参考文献>肥後和男『歴代天皇紀』

(小森正明)

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世界大百科事典 第2版の解説

こうみょうてんのう【光明天皇】

1321‐80(元亨1‐天授6∥康暦2)
北朝第2代の天皇。在位1336‐48年。後伏見天皇の第9皇子。名は豊仁。1336年(延元1∥建武3)後醍醐天皇に反した足利尊氏に擁立された。実際の政務は兄光厳上皇の院政によって行われ,48年(正平3∥貞和4)に上皇の皇子崇光天皇に譲位した。51年(正平6∥観応2)足利尊氏・義詮が南朝に降伏し,崇光天皇が廃されると,世の無常さから出家した。その後,南朝により賀名生あのう)・金剛寺に幽閉され,55年(正平10∥文和4)帰京,洛南の深草金剛寿院に住んだ。

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大辞林 第三版の解説

こうみょうてんのう【光明天皇】

1321~1380) 北朝第二代天皇(在位1336~1348)。名は豊仁。後伏見天皇の皇子。足利尊氏に擁立され、光厳天皇のあとを受けて即位。崇光天皇に譲位し、院政を行なった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

光明天皇
こうみょうてんのう

[生]元亨1(1321).12.23. 京都
[没]天授6=康暦2(1380).6.24. 大和
北朝第2代の天皇 (在位 1336~48) 。名は豊仁,法名真常恵。後伏見天皇の第2皇子,光厳天皇の同母弟。母は広義門院藤原寧子。建武中興の挫折後,足利尊氏が挙兵し上洛したが敗れて九州に遁走,延元1=建武3 (36) 年再挙をはかり,天下に号令する方便のため,光厳上皇の院宣で豊仁親王を迎えて践祚を仰いだ。次いで比叡山から帰洛の後醍醐天皇から三種の神器を受けたという話がある。後醍醐天皇は花山院幽居を脱出して吉野に移り,両朝対立となった。正平3=貞和4 (48) 年位を皇太子興仁親王 (崇光天皇) に譲り,院政を行なった。正平6=観応2 (51) 年出家し戒を受けた。その後武家政権の消長に伴って京洛を出て河内などに移り,転々として暮した。陵墓は京都市伏見区桃山町の大光明寺陵。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

光明天皇
こうみょうてんのう
(1321―1380)

北朝第2代の天皇(在位1336~48)。名は豊仁(とよひと)。法名真常恵。後伏見(ごふしみ)天皇の第2皇子。母は広義門院寧子(やすこ)。光厳(こうごん)天皇の弟で、その猶子(ゆうし)となった。建武中興(けんむのちゅうこう)崩壊ののち、足利(あしかが)氏に擁せられて皇位につき、のちこれを崇光(すこう)天皇に譲った。1351年(正平6・観応2)における南朝後村上(ごむらかみ)天皇の天下一統に際して出家し、幽閉の身となり、光厳、崇光両上皇らとともに南朝根拠地の大和(やまと)(奈良県)賀名生(あのう)および河内(かわち)(大阪府)天野(あまの)の金剛寺に数年間を過ごした。のち京都郊外の伏見に帰還、同地の保安寺、金剛寿院また大光明寺に居住し、その後所々を経、晩年大和の長谷(はせ)寺に居住し、康暦(こうりゃく)2年6月24日摂津の勝尾(かちお)寺で崩御。御陵は京都市伏見区桃山の大光明寺陵。[村田正志]

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367日誕生日大事典の解説

光明天皇 (こうみょうてんのう)

生年月日:1321年12月23日
南北朝時代の北朝第2代の天皇
1380年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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