改訂新版 世界大百科事典 「寒河江氏」の意味・わかりやすい解説
寒河江氏 (さがえうじ)
近衛家領出羽国寒河江荘を名字の地とする,中世の豪族。鎌倉初期に当荘地頭職を得た幕府官僚大江広元とその嫡男親広を始祖とする。親広は承久の乱で上皇方に荷担したが,その子広時の系統が南寒河江荘地頭職を安堵され,鎌倉後期の広時の孫元顕のとき,寒河江に移住したと伝えられる。ただし,13~14世紀を通じて,広時子孫の名字は親広の官途民部権少輔に拠り,少輔氏を称す。南北朝期の少輔氏は,出羽南朝方として知られる。《天文本大江系図》《尊卑分脈》では,室町初期の広元8代孫時氏を寒河江氏を名のった初代とし,現存史料でも,このころからようやく寒河江氏の名称が記載されている。時氏以後,元時-元高-高重=為広-知広-宗広-孝広=広種-兼広-尭元と代々寒河江城に拠り,柴橋,君田,左沢(あてらざわ),溝延(みぞのぶ),荻袋,高屋,白岩などの一族を統率し,戦国期に小領国を形成した。しかし1584年(天正12)尭元のとき,山形城主最上義光に攻略され,滅亡した。
執筆者:遠藤 巌
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報