日本歴史地名大系 「寒風沢番所跡」の解説 寒風沢番所跡さぶさわばんしよあと 宮城県:加美郡宮崎町宮崎村寒風沢番所跡[現在地名]宮崎町宮崎 寒風沢田代西(たしろにし)越出羽道とその間道吹越(ふつこし)峠越道・鍋越(なべこし)峠越道を看視するために置かれた藩境警備のための番所。寛永八年(一六三一)に設置され、田代・軽井沢(かるいざわ)(現小野田町)、および玉造(たまつくり)郡境の間を管轄区域とした。長さ一八町の足軽町があり、一三軒の足軽屋敷があった。番所の建物は縦八間・横四間半である(宮崎村安永風土記)。番所から吹越峠までは三里二七町四〇間あり、馬も歩けない山道であったと伝える。この道は元禄(一六八八―一七〇四)末年にはほとんど通行が絶え、一時御留道になっている。寛永一九年多数の馬をひそかに運ぼうとした者を、寒風沢の百姓与左衛門などが御境横目とともに捕らえた。この功により天和三年(一六八三)与左衛門は他の百姓一一人とともに、田地所持のまま切米扶持の支給を受け、新たに足軽とされ、その子早坂与左衛門は享保八年(一七二三)組頭とされた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by