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寛平の治 かんぴょうのち

世界大百科事典内の寛平の治の言及

【宇多天皇】より

…その死後天皇は東宮より内裏に入って親政をはじめ,菅原道真,藤原保則ら有能な官人を用いて地方政治の刷新に努めた。これを〈寛平の治〉という。しかし故基経女の中宮温子が皇子を生まぬ以前にと,女御藤原胤子の生んだ皇太子敦仁親王に897年譲位した。…

【延喜・天暦の治】より

…天皇親政下に儒教的政治理念にかなった正しい政治が行われ,文運隆盛の聖代であったとされる。〈延喜の治〉は,〈寛平の治〉と称される宇多天皇の治世をうけ,荘園整理など地方行政への施策や,延喜格式・儀式や国史(《日本三代実録》)の編修,銭貨改鋳(延喜通宝)など実質的には解体しつつある律令政府の健在を誇示する事業が行われ,努力は認められるが,その実績には限界があった。また初の勅撰和歌集である《古今和歌集》の撰進など文運も盛んであった。…

※「寛平の治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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