ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「テオドルス2世」の意味・わかりやすい解説
テオドルス2世
テオドルスにせい
Theodorus II
[没]897.12. ローマ
ローマ出身の第115代教皇(在位 897.12.)。登位したのは,「死体会議」に象徴される,教会史上でも混迷をきわめた時代だった。死体会議は,教皇ステファヌス6世(7世。在位 896~897)が教皇フォルモスス(在位 891~896)の墓を暴き,教皇位を無効としたうえ,冒涜したものであった。テオドルス2世の在位期間は 20日間と短かったが,教会会議でフォルモススを擁護し,先代のロマヌス(在位 897.8~11.)がテベレ川から引き揚げていたフォルモススの遺体をローマのサン・ピエトロ大聖堂に丁重に葬った。当時のローマでは死体会議をめぐる政争や策謀が絶えなかったため,暗殺されたとする説もある。
テオドルス2世
テオドルスにせい
Theodorus II Lascaris
[没]1258.8.
ニカイア帝国皇帝 (在位 1254~58) 。父ヨハネス3世の死後帝国の第3代の帝位についた。父と同じくてんかんの持病に苦しみながら帝国の領土維持に努めた。またニカイアを学問,芸術の中心地とし,その宮廷文化はコンスタンチヌス7世時代に匹敵するものであり,ビザンチン帝国の真の後継者たるにふさわしい繁栄をもたらした。
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