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寺村左膳 てらむら さぜん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

寺村左膳 てらむら-さぜん

1834-1896 幕末-明治時代の武士。
天保(てんぽう)5年6月24日生まれ。寺村成相(しげみ)の3男。土佐高知藩士。公武合体論をとなえ,山内豊信(とよしげ)の大政奉還建白副書に後藤象二郎らと署名。鳥羽・伏見の戦いへの参戦に反対し,蟄居(ちっきょ)となる。のち日野春草と名のり山内豊範(とよのり)の家令などをつとめた。明治29年7月27日死去。63歳。名は成範,道成など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

寺村左膳

没年:明治29.7.27(1896)
生年:天保5.6.24(1834.7.30)
幕末の土佐(高知)藩重役,旧藩主山内家家令。高知城下に住む中老700石取り寺村主殿の3男。資性温厚,国学に素養あり,公武合体論を持した。前藩主山内容堂(豊信)の側用役から仕置役に進み,慶応3(1867)年10月の土佐藩の大政奉還建白には後藤象二郎,福岡孝弟,神山郡廉らと連署した。4年1月,鳥羽・伏見の戦の報が高知に至るや,左膳は土佐藩の参戦に反対し,板垣退助ら討幕派に厳しく責められ,同年6月除族,安芸郡野根に蟄居した。まもなく赦免され,旧藩主山内家の家令を勤めたのち東京に出たが,晩年は不遇だったようだ。東京で病没。

(福地惇)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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