寺柱村(読み)てらばしらむら

日本歴史地名大系 「寺柱村」の解説

寺柱村
てらばしらむら

[現在地名]三股町宮村みやむら

樺山かばやま村の南に位置し、東はうしの峠(牛ノ嶺)を境に那珂郡酒谷さかたに(現日南市)都城来住らいじゆう口から飫肥藩領酒谷村へ通じる寺柱往還(牛ノ嶺往還)が通り、同往還には寺柱関が置かれ、幕府巡検使の通路にもなった。酒谷村との境を示す場所には「従是飫肥領」と刻まれた石柱が立つ。江戸時代は都城五口六外城の一つ来住口に含まれ、鹿児島藩都城島津家領。室町時代には樺山氏の所領の基盤で、永享一一年(一四三九)六月一五日の樺山教久段銭目銭等差出控(樺山文書)には段銭賦課の地として「椛山・早水・寺柱」とみえる。寛正四年(一四六三)のものとみられる閏六月八日の本田宗親書状(同文書)と七月四日の宮丸知孝書状(同文書)によると、寺柱の仮屋について樺山氏の使者宮丸氏は都城の北郷氏が知行することでよいと伝え、野々美谷ののみたに(現都城市)本拠をおいていた樺山氏も北郷氏の持分に転換してよいと返答しており、樺山氏の寺柱への関与はこの頃から薄らぎつつあったらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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