寺沢元三郎(読み)てらさわ・もとさぶろう

朝日日本歴史人物事典 「寺沢元三郎」の解説

寺沢元三郎

没年天保11(1840)
生年:生年不詳
肥前国天領天保9(1838)年一揆指導者。同年12月23日に農民1900人余が庄屋不正を訴えて厳木村金毘羅岳に陣取るが,翌年2月,佐賀・唐津藩によって鎮圧される。元三郎は無宿者,取り調べの過程で牢死する。<参考文献>「変儀方一件」「訴訟方御用控帳」(『秀島家文書』),『相知町史』上,『厳木町史』,長野暹「天保9年肥前上松浦幕領における農民闘争」(佐々木潤之介編『村方騒動と世直し』下)

(宮崎克則)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寺沢元三郎」の解説

寺沢元三郎 てらさわ-もとさぶろう

?-1840 江戸時代後期の一揆(いっき)指導者。
天保(てんぽう)9年肥前唐津(からつ)藩(佐賀県)預かり地の松浦郡厳木(きゆうらぎ)村で庄屋の不正をうったえた百姓一揆(松浦幕領一揆)を指揮した。無宿者で農民とともに金毘羅(こんぴら)岳にたてこもり,翌年2月鎮圧され,天保11年獄死した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例