射添庄(読み)いそうのしよう

日本歴史地名大系 「射添庄」の解説

射添庄
いそうのしよう

古代の七美しつみ郡射添郷(和名抄)の郷域に成立した庄園で、庄域は現村岡町の北部と推定される。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文に「射添庄」とみえ、七条院(藤原殖子、後鳥羽天皇生母)七条坊門しちじようぼうもん(現京都市下京区)居所に建立した持仏堂を前身とする歓喜寿院領で、領家は「按察二位家御跡」、地頭は射添弥三郎入道、公文は国御家人の斗麦太郎入道。地頭の射添氏は当地を本貫とする在地豪族であろう。庄田は二六町六反三四〇歩、この内訳は仏神田が九反半、地頭給五町五反、公文給四町五反、惣追捕使給五反、定田一五町二反小四〇歩であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android