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山陰道 さんいんどう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山陰道
さんいんどう

律令制における五畿七道の地方区分の一つ。丹波,丹後,但馬 (たじま) ,因幡 (いなば) ,伯耆 (ほうき) ,出雲,石見と隠岐の8ヵ国を総称する地方名。また,本州西部,ほぼ日本海の海岸沿いに通じていた街道。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

山陰道

中央集権国家を築くため、地方との間に整備された官道「七道駅路」の一つ。最も重要な大路の山陽道のほか、中路の東海道と東山道、小路の北陸道、南海道、西海道と山陰道がつくられた。約16キロごとに馬を置く駅家(うまや)が設けられ、平安時代の法令集「延喜式」には県内で柏尾、清水など9カ所の駅名が記されている。

(2012-10-26 朝日新聞 朝刊 鳥取全県 1地方)

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デジタル大辞泉の解説

さんいん‐どう〔‐ダウ〕【山陰道】

五畿七道の一。現在の近畿・中国地方の日本海側。丹後丹波但馬(たじま)因幡(いなば)伯耆(ほうき)出雲(いずも)石見(いわみ)隠岐(おき)の8か国。また、この国々を結ぶ街道のこと。

そとも‐の‐みち【山陰道】

山陰道(さんいんどう)の古称。

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百科事典マイペディアの解説

山陰道【さんいんどう】

五畿七道の一つ。畿内から西へ日本海沿岸諸国を連絡した道。また沿道の諸国。《延喜式》では丹波(たんば)・丹後(たんご)・但馬(たじま)・因幡(いなば)・伯耆(ほうき)・出雲(いずも)・石見(いわみ)・隠岐(おき)の8ヵ国。
→関連項目青谷[町]出雲国因幡国石見国駅・駅家大枝山関(大江山関)隠岐国但馬国丹後国丹波国伯耆国

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世界大百科事典 第2版の解説

さんいんどう【山陰道】

古代の地方行政区画の七道(五畿七道)の一つ。《西宮記》では〈ソトモノミチ〉〈カケトモノミチ〉と読んでいるが,後者は山陽道の読みの錯入と考えられる。丹波山地および中国山地の北斜面を占める。山陰道の成立時期は不明であるが,685年(天武14)山陰使者として巨勢粟持派遣のことが知られるので,その成立は天武朝末年のころとみられる。《延喜式》ではこの道所属の国として丹波,丹後,但馬,因幡,伯耆,出雲,石見,隠岐の8国を数えるが,このうち丹後は713年(和銅6)丹波より分立したものである。

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大辞林 第三版の解説

さんいんどう【山陰道】

律令制における七道の一。丹波・丹後・但馬・因幡いなば・伯耆ほうき・出雲・石見・隠岐おきの八国より成る。また、それらを縦貫する幹線道路をいう。

そとものみち【山陰道】

山陰道さんいんどうの古名。 「巨勢朝臣粟持を-の使者とす/日本書紀 天武下訓」 ↔ 山陽道かげとものみち

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国指定史跡ガイドの解説

さんいんどう【山陰道】


鳥取県岩美郡岩美町と島根県鹿足(かのあし)郡津和野町にある峠道。指定名称は「山陰道 蒲生峠越(がもうとうげごえ) 徳城峠越(とくじょうとうげごえ) 野坂峠越(のさかとうげごえ)」。「山陰道」とは古代の行政区分の名称で、この行政区分中の国々をつなぐ官道のことを山陰道と呼ぶようになった。京を出発し、丹波、丹後、但馬(たじま)、因幡(いなば)、出雲(いずも)、伯耆(ほうき)、石見(いわみ)を貫く道であった。近世において、鳥取藩は山陰道を京へ通じる主要街道として整備し、鳥取を起点に一里塚を築き、宿駅を置いた。山陰道は岩美町浦富で海沿いに進むルートと蒲生峠へ向かうルートに分岐するが、蒲生峠越が本道とされていた。山陰道蒲生峠越は、岩美町塩谷で国道9号線から分かれて山道に入り、蒲生峠で県道千谷蕪島(ちだにかぶしま)線に合流する。現在でも峠付近には延命地蔵像の台座が残り、当時の往来の様子を今に伝えている。1892年(明治25)に現在の県道ルートに変更されたが、地域住民がこの道を利用し、石畳や水路などの遺存状態は比較的良好である。1998(平成10)~2000年(平成12)年にかけて岩美町教育委員会によって、石畳や道の修復などがなされた。2005年(平成17)に、山陰道のうち、境界の確定できた約2kmの古道と峠の守り仏の延命地蔵の敷地が、「山陰道 蒲生峠越」として国史跡に指定された。蒲生峠入口へは、JR山陰本線岩美駅から車で約20分。また、山陰道徳城峠越野坂峠越はいずれも島根県津和野町にあり、徳城峠越は津和野城下から浜田藩に行く途中までの延長約3kmが、野坂峠越は長州藩領から城下の入り口までの延長約1.4kmが、2009年(平成21)に追加指定された。中世の山陰道は現在の島根県益田市から津和野城下を経て野坂峠にいたるルートになり、近世には天領を避けるために徳城峠などの険しい難所を越えるルートになったと考えられている。徳城峠越は幅約3~4mの路面のほとんどを切り土で造成し、側溝が設けられている。野坂峠越は石見から山口に向かう主要な峠であり、旅人や通過する物資を見張った番所跡や石垣、石敷きなどが残っている。津和野藩が整備したこの道は長州藩との境にあり、幕末維新には長州の志士たちが往来に使ったといわれ、旧状がよく残っている。徳城峠越へは、国道9号小瀬洞門から徒歩約50分。野坂峠越へは、国道9号野坂峠から徒歩約20分。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山陰道
さんいんどう

古代、律令(りつりょう)期における国の上部の地域単位である五畿(ごき)七道の一つ、およびそこに設定された官道の名称。『日本書紀』崇神(すじん)天皇条に、四道将軍の一人丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)を派遣したとする記事が初見。現在の近畿地方と中国地方の北部一帯にあたり、713年(和銅6)に丹後(たんご)国が設置されて、丹波、丹後、但馬(たじま)、因幡(いなば)(以上は『延喜式(えんぎしき)』では近国)、伯耆(ほうき)、出雲(いずも)(以上中国)、石見(いわみ)、隠岐(おき)(以上遠国(おんごく))の8か国が確定した。官道は小路であり、『延喜式』では合計37駅が所在したことが記されている。山陰道諸国では因幡国だけが、『延喜式』に海路の運漕功賃を記しており、敦賀(つるが)津を経て京へと物資が輸送されたとみられる。現在の山陰地方の2県は因幡以遠の5か国の範囲にあたる。[金田章裕]

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世界大百科事典内の山陰道の言及

【駅伝制】より

…中央から辺境にのびる道路にそい,適当な間隔で人・馬・車などを常備した施設すなわち駅を置き,駅を伝わって往来する交通・通信の制度。世界史上,前近代に広大な地域を支配する中央集権国家が成立すると,外敵の侵入や国内の反乱に直ちに対処するばあいを含め,支配維持のために中央と地方とを常時連絡する手段が必要となり,さまざまな形態の駅伝が制度として定められるのが一般であった。このように駅伝制はもともと前近代における支配手段の一種であったから,国家の管理下に置かれて民間の自由な利用は許さないのが原則であり,また国家権力の解体とともに衰退していった。…

【街道】より


[古代・中世]
 古くは地域ごとにおもに情報の伝達,兵員およびその食料の輸送,貢納物の移送といった軍事的・政治的な目的で政治権力によって形成されたとみられ,それらは律令国家の形成にともなって都城や国府を中心として統一的に体系化された。古代律令制においては,都城と諸国府を結ぶ街道として東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道が整備され,このうち都城と大宰府を結ぶ山陽道が最も重視されて大路(たいろ)と規定され,東海道・東山道が中路,他は小路とされた。これらの街道には駅伝制がしかれた。…

【丹波国】より

…ほとんどが丹波高地とよばれる山地から成り,平地は亀岡盆地,福知山盆地などごく少ない。
【古代】
 山陰道に属する上国(《延喜式》)。国名は,《古事記》では旦波,丹波が併用されており,《日本書紀》ではすべて丹波である。…

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