朝日日本歴史人物事典 「小原桃洞」の解説
小原桃洞
生年:延享3(1746)
江戸後期の本草学者。名は良貴,通称は源三郎,号は桃洞。和歌山藩士の子として生まれる。京都に出て吉益東洞に医学を,小野蘭山に本草学を学ぶ。和歌山藩医,本草方に抜擢され,寛政4(1792)年同藩医学館の創立時に本草局の主宰となる。蘭山の享和1(1801)年日光採薬,翌2年紀州採薬に随行。文化3(1806)年『紀伊続風土記』新編纂の藩命を受ける。同書は未完に終わったが,広く山野に採集して動植物を調査し,すぐれた博物誌『桃洞遺筆』を残した。実検を重んじるこの姿勢は門人の畔田翠山に継がれた。<著作>『御国産物考』『魚譜』『南海禽譜』<参考文献>上野益三『博物学者列伝』
(遠藤正治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報