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小野蘭山 おの らんざん

百科事典マイペディアの解説

小野蘭山【おのらんざん】

江戸後期の本草学者。名は職博(もとひろ)。京都に生まれ,松岡恕庵(じょあん)に学び,さらに独学で学識を深めた。日本各地を歩いて,植物のほか動物,鉱物を採集。自宅で本草学を講じるが,71歳で江戸幕府の医官となり,医学館で本草を講じた。
→関連項目飯沼慾斎木村蒹葭堂本草綱目啓蒙

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小野蘭山 おの-らんざん

1729-1810 江戸時代中期-後期の本草家。
享保(きょうほう)14年8月21日生まれ。松岡恕庵(じょあん)にまなび,京都に私塾衆芳軒をひらく。のち幕府の医官となり江戸の医学館でおしえる。ひろく植物採集をおこない,わが国の本草学を集大成した。文化7年1月27日死去。82歳。京都出身。本姓は佐伯。名は職博。字(あざな)は以文。通称は喜内。別号に衆芳軒。著作に「本草綱目啓蒙(けいもう)」「十品考」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小野蘭山

没年:文化7.1.27(1810.3.2)
生年:享保14.8.21(1729.9.13)
江戸中期の本草博物学者。本姓は佐伯氏,幼名は乙丸,名は職博,字は以文,通称は喜内,号は蘭山,朽匏子。地下官人小野職茂の次男として京都に生まれる。母は殿村氏の女。13歳で松岡恕庵に入門し本草学を学ぶ。25歳のとき仕官の道をあきらめ,本草家として独立し京都に私塾・衆芳軒を開き名声を高める。寛政11(1799)年71歳で幕命により江戸に移り医学館で本草を講じる。また,医学館薬園預りとなり,6次にわたり諸国に採薬。常野,甲駿豆相,紀州,駿州勢州志州,上州妙義山並武州三峯山の各採薬記をつくる。さらに衰退していた医学館薬品会を再興し,栗本瑞仙院と共にその鑑定役となる。 初期の蘭山は師恕庵の影響を受けて園芸図譜にかかわり,島田充房との共著『花彙』を出版。その図は独創に富み,また本文はのちフランス人サバチエによって仏訳された。医学館における講義録は孫の小野職孝によって『本草綱目啓蒙』48巻(1803~06)にまとめられる。これは日本各地の動植物,鉱物相を方言名も含めて明らかにしており,中国の『本草綱目』とは別個な独自の見解に貫かれた一大博物誌である。不断の精進と博覧強記ぶりで数々の逸話を残し,人と会っても本草以外の話はしなかったが,本草についてはどんな質問にも懇切丁寧に答えたという。門人は1000人を超え,その門流が幕末本草学隆盛の主流を形成した。<著作>『筵小牘』『十品考』『広参説』『飲膳摘要』<参考文献>遠藤正治「日本的本草学の展開―小野蘭山の学統―」(『日中実学史研究』)

(遠藤正治)

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世界大百科事典 第2版の解説

おのらんざん【小野蘭山】

1729‐1810(享保14‐文化7)
江戸中期の本草家。本姓佐伯,名は職博(もとひろ),希博,字は以文,号は蘭山である。京都桜木町に生まれる。松岡玄達に本草を学んだ。京都で研究と教育に専念していたが,1799年(寛政11)幕府の招きで江戸に下って医学館で本草を講じた。江戸在住以来,各地に5回採薬旅行し,旅行ごとに採薬記を幕府に提出した。主著《本草綱目啓蒙》48巻(1803‐06)のほか多数の著作がある。《本草綱目啓蒙》は図はないが,江戸本草の集大成で,江戸時代最大の博物誌であり,江戸後期の本草への寄与は大であった。

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大辞林 第三版の解説

おのらんざん【小野蘭山】

1729~1810) 江戸後期の本草学者。京都生まれ。本姓、佐伯。名は職博もとひろ。通称、喜内。松岡恕庵に本草学を学ぶ。薬用にとらわれず、日本産の動植鉱物を実証的かつ網羅的に研究整理し、江戸時代の本草学を大成。シーボルトにより「東洋のリンネ」と称される。 → 本草綱目啓蒙ほんぞうこうもくけいもう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小野蘭山
おのらんざん

[生]享保14(1729).8.21. 京都
[没]文化7(1810).1.27. 江戸
江戸時代の本草 (薬草) 学者。松岡恕庵に師事したが,師の死後は独学し,25歳ですでに多くの弟子を集めた。寛政 11 (1799) 年,70歳で江戸幕府に招かれ医学館の本草教授。翌年から文化3 (1806) 年にいたる6年間,関東,中部,近畿の諸国をめぐって本草書をつくり,将軍に献上した。主著『本草綱目啓蒙』 (48巻) は,蘭山の孫の職孝と門人の岡村春益が蘭山の口述筆記をまとめたもので,当時の本草百科事典として医学者必読の書であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小野蘭山
おのらんざん
(1729―1810)

江戸後期の本草(ほんぞう)学者。京都の人。名は職博(もとひろ)。本草を松岡恕庵(じょあん)(玄達)に学び、師の没後独学で大成した。70歳で幕府医学館に招かれ、江戸に出て医官の子弟に本草を講授するかたわら、諸国の山野を踏査採薬したので「地仙」と尊称された。本草講義を孫の職孝(もとたか)(?―1852)が整理して『本草綱目啓蒙(けいもう)』48巻を出版(1806)した。本書は中国の李時珍(りじちん)の『本草綱目』の原典に照らし国産動植鉱物の和漢名、品種の異同、方言、薬用部分などを詳述した日本の本草学の集大成で、江戸時代のもっとも内容の充実した薬物研究書である。シーボルトは蘭山を「日本のリンネ」と評した。著書は『大和本草批正(やまとほんぞうひせい)』『飲膳摘要(いんぜんてきよう)』ほか多数ある。門人も飯沼慾斎(よくさい)、岩崎灌園(かんえん)、水谷豊文(ほうぶん)、山本亡羊(ぼうよう)(1778―1859)ら非常に多い。[根本曽代子]

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367日誕生日大事典の解説

小野蘭山 (おのらんざん)

生年月日:1729年8月21日
江戸時代中期;後期の本草博物学者
1810年没

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世界大百科事典内の小野蘭山の言及

【サクラ(桜)】より

… もちろん,幕末本草学者のなかには,誤報=誤伝に基づく学説に訂正要求を突き付ける人もあるにはあった。江戸幕府の命を受けて江戸医学館で本草学を講義し,また大著《本草綱目啓蒙》(1803)の著者としても名高い小野蘭山(1729‐1810)は,弟子の井岡冽(れつ)に筆記させた《大和本草批正(ひせい)》というゼミナール速記録のなかで,貝原益軒の犯した誤謬をひとつひとつ指摘し,〈中華に桜と云ふは朱花なり。欲然と云こと,桃及杏にも賦せり。…

【本草学】より

…その後も盛んに中国から本草学が導入されたが,漢籍を日本風に理解したのと呼応して,植物学でも,中国で記述された種を日本風に解釈するにとどまっていた。やっと18世紀になって,貝原益軒の《大和本草》(1709)や稲生若水の《庶物類纂》(未完),小野蘭山《本草綱目啓蒙》(1806)などによって日本風の本草学が集成されていった。江戸時代末にはC.P.ツンベリーやP.F.vonシーボルトなどを介して西洋本草学の影響が及び飯沼慾斎《草木図説》(1852),岩崎灌園《本草図譜》(1828)などが出版され,日本の植物についての高い知見が示されていった。…

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