朝日日本歴史人物事典 「小山弥兵衛」の解説
小山弥兵衛
生年:宝永2(1705)
江戸中期の但馬国(兵庫県)生野代官所支配村々の一揆の指導者。磯部庄大内村(山東町)の年寄役。持高10石余。元文3(1738)年12月,租税の引き下げと夫食貸しを要求して約3000人が蜂起。商人宅打ちこわしののち,生野代官所へ強訴。弥兵衛は廻状を出させて人数を結集したことにより壱岐島(長崎県)へ遠島。弥兵衛の孫娘は,祖父を思慕し,旅行の便をはかるため尼となって心諒と改名。21歳のとき,ついに祖父を訪ね,相擁して号泣した。その後,福岡の寺に寓居し,毎月1回,3年間にわたって島に渡り,祖父を慰めた。<参考文献>『兵庫県史』4巻
(三宅紹宣)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報