江戸前期の東大寺の僧。丹後(たんご)(京都府)宮津の人。13歳で東大寺大喜院の英慶(えいけい)に就いて出家、同寺竜松院に住したが、大仏が1567年(永禄10)の兵火以後、露座となっていることを嘆き、1683年(天和3)大仏殿再興を発願。翌1684年幕府の許可を得て大勧進職(だいかんじんしき)となり、諸国に勧募し、まず仏体の補修に着手した。1688年(元禄1)4月には大仏殿造始の法要を修し、1692年5月、仏像補修なる。1694年将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)に閲して諸国勧化(かんけ)の便宜を与えられ、1705年(宝永2)閏(うるう)4月には大仏殿上棟式を行ったが、その落成を見ないで同年7月12日に江戸で寂した。大仏殿は1708年6月に落慶(らっけい)して現在に至る。中門、回廊、東楽門、西楽門も同時になった。墓所は東大寺の近辺の五劫院(ごこういん)にある。
[薗田香融 2017年7月19日]
『『公慶上人年譜聚英』(1954・東大寺)』
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1648.11.15~1705.7.12
江戸前期の三論宗の僧。丹後国生れ。1660年(万治3)東大寺の英慶に師事。1567年(永禄10)の兵火によって大仏が露座しているのを嘆き,幕府の許可を得て全国に勧進。1692年(元禄5)に大仏の修理を完成し,開眼供養を行う。翌年,この功により将軍徳川綱吉に拝謁。その後も西国に勧進を続けたが,大仏殿の落慶は死後の1709年(宝永6)であった。現在の大仏殿・中門・廻廊・東西楽門はこのときの再建。
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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