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公慶 コウケイ

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デジタル大辞泉の解説

こうけい【公慶】

[1648~1705]江戸前期の華厳宗の僧。丹後の人。東大寺大仏殿再建を図り、幕府から大仏勧進の許可を得て諸国を遊歴。宝永2年(1705)上棟式を行ったが、落慶を待たずに没した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

公慶 こうけい

1648-1705 江戸時代前期の僧。
慶安元年11月15日生まれ。三論宗。丹後(京都府)の人。奈良東大寺でまなび,松永久秀の乱で焼失した大仏殿の再興を決意する。貞享(じょうきょう)元年(1684)幕府から諸国勧進(かんじん)の許可を得,再興につくす。宝永2年閏(うるう)4月上棟式をすませるが,落成前の同年7月12日死去。58歳。東山天皇から上人号をあたえられた。俗姓は鷹山。

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朝日日本歴史人物事典の解説

公慶

没年:宝永2.7.12(1705.8.30)
生年:慶安1.11.15(1648.12.29)
江戸中期の東大寺三論宗の僧。東大寺大仏と大仏殿の復興に半生を捧げた人。丹後国(京都府)宮津の出身。鷹山頼茂の子。万治3(1660)年12月に東大寺大喜院に入寺し,英慶に師事して式部卿公慶と称す。大仏は永禄の炎上(1567)以来,引き続く戦乱のために再興がままならず100年以上も雨にさらされたままの状態であった。公慶は入寺以来,大仏の再興に志し,貞享1(1684)年5月,江戸幕府に大仏修理の許可を願い出,6月に許可された。同2年に大仏再興に着手し,全国に勧進する。元禄5(1692)年3月には大仏の新粧が修了し,開眼供養を行った。次に大仏殿の復興に着手,同年12月には江戸に勧進所を設置し,将軍綱吉,その生母桂昌院らの協力を得て,全国に勧進。宝永2(1705)年閏4月10日には上棟式を行う。公慶は上棟式を終えたのち幕府に感謝の意を表すために江戸に向かい,拝礼の儀をすませたが,6月27日に病となり7月12日に死去した。大仏殿の落慶は,同6年3月で,今日の大仏殿である。<参考文献>堀池春峰編『公慶上人年譜聚英』

(松尾剛次)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

こうけい【公慶】

1648‐1705(慶安1‐宝永2)
江戸中期の東大寺三論宗の僧。敬阿弥陀仏とも称した。鷹山頼茂の子,丹後国宮津に生まれた。1684年(貞享1)に諸国勧進の許可を得て,大仏修理,大仏殿再興を図り,92年(元禄5)大仏開眼供養を行い,以後再興に東奔西走し,1705年(宝永2)閏4月に上棟式を行ったが,同年7月江戸にて客死した。その間東山天皇より上人号を下賜され,将軍徳川綱吉,護持院隆光の援助や桂昌院の帰依を得た。【堀池 春峰】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

公慶
こうけい
(1648―1705)

江戸前期の東大寺の僧。丹後(たんご)(京都府)宮津の人。13歳で東大寺大喜院の英慶(えいけい)に就いて出家、同寺竜松院に住したが、大仏が1567年(永禄10)の兵火以後、露座となっていることを嘆き、1683年(天和3)大仏殿再興を発願。翌年幕府の許可を得て大勧進職(だいかんじんしき)となり、諸国に勧募し、まず仏体の補修に着手した。1688年(元禄1)4月には大仏殿造始の法要を修し、92年5月、仏像補修なる。94年将軍徳川綱吉(つなよし)に閲して諸国勧化(かんけ)の便宜を与えられ、1705年(宝永2)閏(うるう)4月には大仏殿上棟式を行ったが、その落成を見ないで同年7月12日に江戸で寂した。大仏殿は1708年6月に落慶(らっけい)して現在に至る。中門、回廊、東楽門、西楽門も同時になった。墓所は東大寺の近辺の五劫院(ごこういん)にある。[薗田香融]
『『公慶上人年譜聚英』(1954・東大寺)』

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