小島玄之(読み)コジマ ゲンシ

20世紀日本人名事典 「小島玄之」の解説

小島 玄之
コジマ ゲンシ

昭和期の国家社会主義運動家



生年
明治41(1908)年8月12日

没年
昭和41(1966)年2月8日

出生地
岐阜県

学歴〔年〕
早稲田大学専門部中退

経歴
大学在学中社会科学研究会に参加、右翼学生と紛争を起こし退学処分。昭和4年中部民衆党岐阜支部に入り、8年治安維持法違反で検挙された。起訴猶予後国家主義に転向、13年大日本青年党入党。のち日本革新党、大日本聖化会などを経て、右翼運動家の影山正治と青年倶楽部を結成。18年皇道翼賛青年連盟事件で検挙。26年新政治力結集協議会を結成、29年救国国民連合事務長、護国団に参加。34年思想研究所を設立。36年には川南豊作らの池田内閣の政府要人暗殺計画・三無事件に関係した。クーデターの必然性を説く国家社会主義者。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小島玄之」の解説

小島玄之 こじま-げんし

1908-1966 昭和時代国家主義者
明治41年8月12日生まれ。昭和4年中部民衆党岐阜支部に入党。8年治安維持法違反で検挙,起訴猶予ののち国家主義に転じる。大日本聖化会などをへて影山正治らと青年倶楽部を結成。29年護国団に参加。34年思想研究所をつくった。昭和41年2月8日死去。57歳。岐阜県出身。早大中退。著作に「右翼運動の基本政策」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例