小林郷
こばやしごう
鹿児島藩における近世外城の一つで、ほぼ現在の小林市域にあたる。北東は須木郷、東は野尻郷、南東は高原郷、南は庄内郷、南西は大隅国襲山郷、西南西は同国踊郷などに接している。近世後期の高位付では上位、鹿児島からの道程は万治年間(一六五八―六一)以降遠方に位置づけられている(「薩摩藩万留」鹿児島県立図書館蔵)。小林五日町より鹿児島までは西の真幸筋で二一里一二町余、国分浜之市(現鹿児島県隼人町)まで一三里(「小林誌」赤木家文書)。「日向地誌」は真方村より鹿児島県庁まで二三里一九町としている。郷域一帯の地は古くは夷守と唱えたとされ(日向国史)、おそくとも天正期(一五七三―九二)までは三之山と称していた(「上井覚兼日記」天正一四年七月一〇日条など)。慶長期(一五九六―一六一五)以後小林を外城(郷)名としたとされるが(日向国史)、確証はない。郷内に含まれる村は、「三州御治世要覧」をはじめとする鹿児島藩の行政資料では、真方村・北西方村・東方村・水流迫村・細野村・南西方村・堤村の七ヵ村としている。明治期編纂の「薩隅日地理纂考」と小林誌は細野村内の後河内村を独立させて八ヵ村としているが、「日向地誌」では七ヵ村である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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