日本歴史地名大系 「小林市」の解説 小林市こばやしし 面積:二三〇・七二平方キロ(境界未定)県南西部に位置する。北は熊本県球磨(くま)郡上(うえ)村・錦(にしき)町、東は西諸県(にしもろかた)郡須木(すき)村・野尻(のじり)町、南は同郡高原(たかはる)町、南西は都城市と鹿児島県姶良(あいら)郡霧島(きりしま)町・牧園(まきぞの)町、西はえびの市と接する。小林市が中心都市として位置する小林盆地は東西約一五キロ・南北約一〇キロで、盆地周辺には標高三〇〇メートル内外のシラスや礫層の台地が広がっている。北部は九州脊梁山地、南部は韓国(からくに)岳・獅子戸(ししこ)岳・新燃(しんもえ)岳・夷守(ひなもり)岳などの霧島火山群が連なり、東部と西部は都城盆地・加久藤(かくとう)盆地との間に低い山地がある。盆地内を大淀川支流岩瀬(いわせ)川が北から南へ流下、西から東へ流れる石氷(いしごおり)川・辻の堂(つじのどう)川などを合せて東流している。交通はJR吉都線・国道二二一号が市域中央部をほぼ東西に走る。市中心部からは北へ熊本県阿蘇郡一の宮(いちのみや)町と結ぶ国道二六五号、北東へ東諸県郡高岡(たかおか)町と結ぶ国道二六八号が分れる。また九州縦貫自動車道宮崎線が南方霧島山麓を東西に走り、小林インターチェンジが設けられている。〔原始・古代〕旧石器時代の遺跡は確認されていない。縄文時代の遺跡では東方の本田(ひがしかたのほんだ)遺跡で前期の竪穴住居跡が確認され、細野の水落(ほそののみずおとし)遺跡で後期の土壙が検出されている。また南西方(みなみにしかた)に平木場(ひらこば)遺跡があるが、遺物が確認されただけで詳細は不明。そのほか市内西部から北―北東部の台地上に遺物の散布が認められる。弥生時代の遺跡では、南西方の鬼塚ヒレ原(おにづかひればる)遺跡で掘立柱建物跡が確認されている。また水落遺跡では後期後半の竪穴住居跡六軒が調査されている。そのほか東方地域には弥生土器の散布が著しくみられ、集落の存在が推測されている。古墳時代の遺跡として確認されているものは地下式横穴墓が中心であり、北西方の尾中原(おなかばる)、真方(まがた)の正覚原(しようかくばる)・東二原(ひがしにわら)・新田場(しんでんば)、水流迫(つるざこ)の下(しも)ノ平(ひら)などで調査されている。集落は平木場遺跡で確認されている。なお真方・細野・水流迫地区に分布する六基の地下式横穴墓は、昭和一四年(一九三九)小林町古墳として県の史跡に指定された。律令制下では市域は諸県郡に属したが、何郷であったかは不詳であり、大田(おおた)郷とする説、山鹿(やまが)郷とする説、春野(はるの)郷とする説がある。日向国府と肥後国府を結ぶ官道が走り、「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条によれば夷守駅が設置され、駅馬五疋が置かれていた。同駅は細野に想定されている。〔中世〕中世の当市域は、建久図田帳にみえる摂関家領島津庄の寄郡真幸(まさき)院三二〇町の範囲に入るとの考えが強い。また市域内の地名は、応仁の乱以前、とくに鎌倉―南北朝期の史料にはみえない。 小林市こばやしし 2010年3月23日:小林市が西諸県郡野尻町を編入⇒【小林市】[変更地名]宮崎県⇒【野尻町】宮崎県:西諸県郡 小林市こばやしし 2006年3月20日:小林市と西諸県郡須木村が合併⇒【須木村】宮崎県:西諸県郡⇒【小林市】宮崎県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小林市」の意味・わかりやすい解説 小林〔市〕こばやし 宮崎県南西部,九州山地南部から小林盆地の西半部を占める市。南部は霧島山の諸峰がそびえ,北麓には生駒高原が広がり,東部には大森岳(1109m)や七熊山(929m)など標高 1000m級の山々が連なる。1950年市制施行。2006年須木村と合体。2010年野尻町を編入。中世以後,日下部氏,北原氏,伊東氏の支配を経て,江戸時代には島津氏の領地であった。大淀川の支流岩瀬川沿岸の沖積地は米作地帯で,良質の米を産出。周辺の標高 200~300mの火山灰地では畑作が行なわれる。霧島山麓地帯は集約酪農地域に指定され,ホルスタイン種,ジャージー種の乳牛の飼育が盛ん。家畜改良センター宮崎牧場がある。北東部はほとんどが国有林でクリや木材を産する。エヒメアヤメ自生南限地帯は国の天然記念物。三ノ宮峡,須木の滝,須木村古墳などがある。霧島錦江湾国立公園の観光基地で,東部は九州中央山地国定公園に属する。JR吉都線,国道221号線,265号線,268号線が通じ,宮崎自動車道のインターチェンジがある。面積 562.95km2(境界未定)。人口 4万3670(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by