小栗栖香頂(読み)おぐるす・こうちょう

朝日日本歴史人物事典 「小栗栖香頂」の解説

小栗栖香頂

没年明治38.3.18(1905)
生年天保2.8.4(1831.9.9)
幕末明治期の真宗の僧。東本願寺学寮の贈講師で,中国開教を行ったことで有名。豊後国(大分県)妙正寺了堅と峯子の子。幼少のころより漢学に親しみ,弘化1(1844)年儒者広瀬淡窓の門に入る。嘉永5(1852)年東本願寺学寮に入り,明治1(1868)年には擬講に進んだ。翌2年に真宗宗名廃止の府令に反対運動を推し進め,宗名回復の公布を得た。同3年,東本願寺の北海道開拓事業の推進を建言,大谷光塋(現如)に随行して北海道に赴いた。同6年の中国旅行で,当地の仏教衰微を感じて開教を決意,同8年,東本願寺当局の理解を得て再び訪中,上海別院を建てて開教に着手したが,中風をわずらってすぐさま帰国,療養後は監獄布教や婦人会の設置に努めた。著書に『真宗教旨』『喇嘛教沿革』『蓮舶詩歴』など。<参考文献>小栗憲一『小栗栖香頂伝』,常光浩然『明治の仏教者』

(草野顕之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小栗栖香頂」の解説

小栗栖香頂 おぐるす-こうちょう

1831-1905 明治時代の僧。
天保(てんぽう)2年8月4日生まれ。真宗大谷派。広瀬淡窓(たんそう)に儒学を,京都の高倉学寮で仏教をまなぶ。キリスト教を排斥して仏教擁護につとめ,東本願寺に北海道開拓を進言した。明治6年と9年に中国にわたり,谷了然らと上海に東本願寺別院を開設。明治38年3月18日死去。75歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。号は八洲,蓮舶。著作に「蓮舶詩歴」「北京紀遊」など。

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