小河院(読み)おがわいん

日本歴史地名大系 「小河院」の解説

小河院
おがわいん

平安時代末期に古代の贈於そお郡から分立したと考えられる院。小川とも書き、現在の上小川かみこがわ近世曾小川そおがわ(寛文四年の郡村高辻帳では「そのこがわ」と訓じている)は関連する地名とみられる。領域は上小川を含む現在の国分市南東部から姶良あいら福山ふくやま町・曾於そお輝北きほく町・大隅町にかけての一帯に比定される。治暦五年(一〇六九)一月二九日、藤原頼光は「小川院所領田畠」を女子に宛行っている(「藤原頼光所領配分帳」禰寝文書)。天養二年(一一四五)四月二〇日の建部頼高置文(同文書)によると建部頼高の父頼清は頼高に禰寝ねじめ院頼源薗、嫡子清貞に「小川院殿薗、東薗」を譲ったが、その後頼高の頼源薗と清貞の東薗が交換されている。

大隅国建久図田帳によれば当院の田積は三四八丁三段大、内訳は正八幡宮(現鹿児島神宮)領二七四丁余・国領八丁余・寺田一丁余・経講浮免田二八丁余、大宰府進止の府社領八丁余、島津庄永利ながとし二五丁余であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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