加治木(読み)かじき

精選版 日本国語大辞典 「加治木」の意味・読み・例文・類語

かじきかぢき【加治木】

  1. 鹿児島県中部、鹿児島湾北岸の地名。近世初期、島津義弘・家久の頃、城下町として栄えた。特産は龍門司(りゅうもんじ)焼。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加治木」の意味・わかりやすい解説

加治木
かじき

鹿児島県中部、姶良郡(あいらぐん)にあった旧町名(加治木町(ちょう))。現在は姶良市の東部を占める地域。鹿児島湾に面する。1912年(明治45)県内で最初に町制施行。2010年(平成22)姶良郡姶良町蒲生(かもう)町と合併して市制施行、姶良市となった。地域の大部分シラス台地、丘陵地であるが、南部には沖積平野が展開する。JR日豊(にっぽう)本線、国道10号、九州自動車道が低地部を横断し、加治木インターチェンジをもつ。鹿児島空港にも近い。近世初頭、島津義弘(よしひろ)・家久(いえひさ)時代には一時薩摩(さつま)藩の居城が置かれ、私鋳銭「加治木銭」もここでつくられた。現在は鹿児島市の近郊都市で兼業農家が多く、また食品、木工などの中小工場の進出も目だつ。特産の竜門司焼(りゅうもんじやき)は、1598年(慶長3)島津義弘が朝鮮から連れて帰った陶工たちに焼かせたのが始まりといわれ、県指定文化財。コガネグモによる「くも合戦」も旧暦端午(たんご)の節供の行事(現在は6月の第3日曜日)として知られている。また、太鼓踊と吉左右(きそう)踊(棒踊の一種)は県指定無形民俗文化財。

[田島康弘]

『『加治木町郷土史』(1960・加治木町)』『『加治木郷土誌』(1966・加治木町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加治木」の意味・わかりやすい解説

加治木
かじき

鹿児島県中部,姶良市東部の旧町域。鹿児島湾奥に位置する。1912年町制。2010年姶良町,蒲生町の 2町と合体して姶良市となった。中心地区の加治木は中世には私郷加治木郷として大蔵氏(のち加治木氏と改姓)の支配下にあった。中世末に島津氏領地となり,慶長1(1596)年には島津義弘が加治木城を居城とした。同 7年に島津家久が鹿児島鶴丸城に居を移したのちも,この地方の中心地であった。江戸時代の禅僧文之の墓など史跡も多い。農村部では米,サツマイモ,葉タバコ,チャ(茶)などを産し,デンプン焼酎の製造業が発達。鹿児島湾岸ではノリの生産もある。文禄1(1592)年の文禄の役(→文禄・慶長の役)後,義弘が朝鮮から連れ帰った陶工の子孫によって始められた龍門司焼(小山田焼)は,薩摩焼の一種で県の重要な民芸品。毎年 6月(旧 5月)に行なわれるクモ合戦(→コガネグモ)は有名。秋の太鼓踊や吉左右踊(きそうおどり,→棒踊)も特に勇壮さで知られる。

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百科事典マイペディア 「加治木」の意味・わかりやすい解説

加治木[町]【かじき】

鹿児島県姶良(あいら)郡,鹿児島湾北岸の旧町。一時島津氏の居城地。日豊本線,九州自動車道が通じ鹿児島市の衛星都市化が顕著。米,サツマイモ,花卉(かき),野菜などを産し,林業,漁業も営む。焼酎(しょうちゅう),薩摩焼の一種竜門司(りゅうもんじ)焼を特産。2010年3月姶良郡蒲生町,姶良町と合併して市制施行,姶良市となる。47.51km2。2万2908人(2005)。

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改訂新版 世界大百科事典 「加治木」の意味・わかりやすい解説

加治木 (かじき)

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