岡山県中央部、御津郡(みつぐん)にあった旧町名(建部町(ちょう))。現在は岡山市北区の一地区。旭(あさひ)川中流域にある。1967年(昭和42)旭川右岸の建部町(1955町制)と左岸の久米(くめ)郡福渡(ふくわたり)町(1922町制)が合併して新しい建部町が発足し、役場は福渡に置かれた。2007年(平成19)岡山市に編入。JR津山線、国道53号、484号が通じる。旧町域は旭川を境にして東は美作(みまさか)国、西は備中(びっちゅう)国にあたる。福渡は江戸時代には岡山、津山両城下町の中間にあり、津山往来の宿場、また旭川水運の中継地として栄え、津山藩番所が置かれた。建部は岡山藩の家老池田氏の陣屋町であった。農業は稲作と酪農が中心となっている。衣料、電気機械部品などの中小工場があり、また岡山市の中心市街地への通勤者も多い。旭川には県営旭川ダムがある。
[由比浜省吾]
『『福渡町略史』(1954・福渡町)』▽『『建部町略史』(1977・建部町)』▽『『建部町史』全3巻(1991~1995・建部町)』
古代の軍事的な部民。武部とも書き,〈たける〉は勇者の意。《日本書紀》景行紀43年条には景行天皇が子の日本武(やまとたける)尊の功名を伝えるために建部を定めたとし,《出雲国風土記》出雲郡健部郷の条にも同様の伝承がある。また《続日本紀》延暦3年(784)11月条では,雄略朝に〈健部君〉の名を賜ったとする。これから建部を日本武尊あるいは雄略天皇(大泊瀬幼武天皇(おおはつせわかたけのすめらみこと))の名代(なしろ)とする説がある一方,むしろ建部の名から日本武尊などとの関係が付会されたものとみ,建部を軍事的職業部とする説が有力である。古代の建部の分布は東は常陸から西は薩摩におよび,広範に設定されたことが知られる。部民の建部を管掌した伴造は建部君であり,645年(大化1)孝徳天皇の即位式に犬上建部君が金の靫を帯びて壇(たかみくら)に侍したこと,宮城十二門の門号に建部門があることから,古く建部氏が朝儀に侍し,宮門の守衛にあたる軍事的な氏族であったことがうかがえる。
執筆者:佐藤 信
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