小治田安萬侶墓(読み)おはりだのやすまろのはか

国指定史跡ガイド 「小治田安萬侶墓」の解説

おはりだのやすまろのはか【小治田安萬侶墓】


奈良県奈良市都祁甲岡(つげこうおか)町にある小治田安萬侶の墓。奈良盆地東方、俗に前山と呼ばれる標高510mの小丘陵の南斜面の中腹部に所在する。小治田安萬侶は、文武・元明・元正・聖武の4朝に仕えた人で、『続日本紀』によれば、707年(慶雲4)に従五位下に叙せられ、719年(養老3)に正五位上に進み、さらに出土した墓誌によれば従四位下に達したことが知られる。1912年(明治45)、火葬骨を納めた木櫃(もくひつ)と金銅の墓誌板、および小銅板2枚がたまたま発見され、1951年(昭和26)に再調査が行われた結果、玉石を敷いた墓坑に灰と木炭を埋めて粘土で覆い、その上部に墓誌や蔵骨器を安置したものであることが推定された。この墓誌は、文献資料を補う内容豊富なもので、律令官人墓の構造と内容を知ることができる希少な遺跡であることから、1969年(昭和44)に国の史跡に指定された。近畿日本鉄道大阪線榛原(はいばら)駅から奈良交通バス「来迎寺」下車、徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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