小瀬戸遠見番所跡(読み)こせどとおみばんしよあと

日本歴史地名大系 「小瀬戸遠見番所跡」の解説

小瀬戸遠見番所跡
こせどとおみばんしよあと

[現在地名]長崎市小瀬戸町

江戸時代に置かれた番所の跡。元禄二年(一六八九)の設置で、野母のも遠見番所(現野母崎町)信号を長崎の十人じゆうにん町小番所に連絡するために観音かんのん山など三ヵ所に番所が設けられた。番人一〇人・水主一〇人で、水主の役宅があった(「大村見聞集」など)。異国船来航の注進が野母番所からのみでは遅滞しがちであり、また出船の際に長崎湊口の検分も覚束ないとして遠見番所を設置したとされる(華蛮交易明細記)。遠見番所の施設は、番所が一間半四方・瓦葺の一棟のほか、賄所が一棟、水主小屋が一棟あり、注進船は四艘、水主二〇人、詰番四人(一〇日交替、唐船帰帆の節は六人)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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