日本歴史地名大系 「小石川水道町」の解説 小石川水道町こいしかわすいどうちよう 東京都:文京区旧小石川区地区小石川水道町[現在地名]文京区春日(かすが)一―二丁目・水道(すいどう)一丁目・後楽(こうらく)二丁目明治二年(一八六九)小石川金杉(こいしかわかなすぎ)水道(すいどう)町のうち坂通(さかどおり)町が改称して成立。同五年、旧紀州藩付家老安藤家上屋敷や旗本屋敷、また神田上水北側の賄方組屋敷、同上水南側の書院番組屋敷・槍方組屋敷など近傍の士地を編入。編入時には北は小石川大門(こいしかわだいもん)町・同金富(かなとみ)町、東は小石川仲(こいしかわなか)町・同大和(やまと)町、南は小石川大和町・同江戸川(えどがわ)町、西は小石川水道端(こいしかわすいどうばた)町一丁目など。寛文新板江戸絵図では安藤邸の地は寛文元年(一六六一)に定火消に任じられた遠山半九郎伊次(寛政重修諸家譜)の役屋敷となっている。以後、享保年中(一七一六―三六)頃まで、同所は定火消の役屋敷であった(沿革図書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報