中部伊豆諸島の中心島で、東京から南方約一八〇キロに所在する火山島。面積は五五・一四平方キロ、伊豆諸島中大島・八丈島に次いで大きい。最高峰は複式火山の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都三宅支庁に属し、全島1村の活火山島。長円形で径7~10キロメートル、面積約55.26平方キロメートルで、伊豆諸島では面積第3位。かつての富士火山帯、東日本火山帯に属し、おもに玄武岩の成層火山である。最高峰は中央火口丘の雄山(おやま)(標高は813メートルであったが、2000年の噴火活動で山頂部が消滅し、現在は775メートル)。1085年(応徳2)を皮切りに1983年まで15回の噴火の記録があるが、雄山での山頂噴火のほか、山腹~付近海底での放射状の割れ目噴火が多く、溶岩流も生じやすく、噴火のつど惨害を出した。第二次世界大戦後の1962年(昭和37)噴火は学童の島外疎開で知られ、1983年噴火では溶岩流が西海岸の集落阿古(あこ)の約7割を埋没・焼失させた。2000年(平成12)噴火では、山頂にカルデラが生じるとともに多量の有毒火山ガスが放出したため、同年9月から約4年半の全島避難が続いた。
2000年6月地震活動が活発化、同月27日に海底で小噴火がおこり、強い地震が島外の神津(こうづ)・新島(にいじま)方面で発生し始めた。7月8日には突然山頂部が陥没するとともに水蒸気~マグマ水蒸気爆発がおきた。山頂部の陥没は8月初めまで続き、直径1.6キロメートルの雄山カルデラが出現した。マグマが地下で神津島方向に移動して、地下に空洞ができたために生じた陥没カルデラである。8月18日に最大規模の噴火があり、8月29日低温火砕流発生、9月2日全島避難指示が出され、島民は長期の避難生活を余儀なくされた。2005年2月1日避難指示は解除、同年5月より観光客の受入れを再開した。その後、火山ガスの放出量は減少し、近年は少ない状態が続いている。火山活動の観測は東京都、国土地理院、防災科学技術研究所などによって行われている。
三宅島には事代主命(ことしろぬしのみこと)が渡島し、付近の島々を治めたという伝説があり、12の延喜(えんぎ)式内社があることから宮家(みやけ)島といったのが島名の起源という。また8世紀に多治比真人三宅麿(たじひのまひとみやけまろ)が流されたことによるとの説もある。江戸時代は流刑地。北西海岸の集落伊豆には弥生(やよい)文化の須和田式期の遺跡、絵島(えじま)事件の役者生島新五郎(いくしましんごろう)や国学者竹内式部(たけのうちしきぶ)の墓などもある。230種もの野鳥がいる。漁業やテングサ採取が盛んで、イセエビ、サザエや、アシタバ、赤芽(あかめ)サトイモ、パッションフルーツ、ツバキ油などが特産。爆裂火口湖の太路(たいろ)池などもあり、山紫水明で、富士箱根伊豆国立公園に属す。人口2273(2020)。
[諏訪 彰・中田節也]
『三宅島史編纂委員会『三宅島史』(1982・三宅村)』▽『池田信道著『三宅島の歴史と民俗』(1983・伝統と現代社)』▽『三谷彰著『三宅島島民たちの一年』(2001・岩波書店)』▽『村栄著『三宅島 噴火避難のいばら道――あれから4年の記録』(2005・文芸社)』
伊豆諸島に属する島。1島で東京都三宅支庁三宅村をなす。人口2676(2010)。面積は55km2で,伊豆諸島では大島,八丈島に次ぐ。中央に成層火山の雄山(おやま)(775m)がそびえ,その山すそが海に落ちこみ島の周囲は大部分が高さ20~50mの黒色の溶岩による海食崖をなしている。島の南岸近くには大路(たいろ)池,新澪(しんみよう)池の火口湖がある。伊豆諸島の中では大島の三原山と並んで噴火の記録が最も多く,近年では1874年,1940年,62年,83年に大噴火がみられ,島内の集落にも大きな被害を与えた。83年の噴火では噴火物は1200万m3にのぼり,島南西部の阿古地区では溶岩流によって約400戸が埋没した。
集落はわずかな湾入に面して立地し,かつての浦百姓村の神着(かみつき)や伊ヶ谷,釜百姓村であった伊豆,阿古,坪田などがある。島は水に乏しく古くから天水に依存したため農業は振るわず切替畑が多かった。水産業は島の重要産業で,近世には浦百姓村では船主・船子制が維持され,房総半島や伊豆半島の漁村から労働者が入ってきたこともあった。製炭業も盛んであった。また流刑地ともされた。良質のテングサのほか,セロリ,レタス,観葉植物,バターなどを産するほか,近年は花卉,花木の栽培が盛んになっている。島の北の神着と南の坪田に2港が開かれ,東京竹芝桟橋から定期船の便がある。島の南東部に三宅島空港(1966年開設)があって,羽田から空の便がある。探鳥,釣りの適地が多く,昭和40年代から観光客が増加した。
2000年8月,大規模な火山噴火のため全島民が都内各地などに避難生活を余儀なくされたが,06年に入り帰島が開始された。
執筆者:大村 肇
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(井田喜明 東京大学名誉教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…かつては伊豆諸島以南の地も含めて漠然と豆南(ずなん)諸島と呼ばれた。相模湾口から南へ大島,利島,新島,式根島,神津島,三宅島,御蔵島,八丈島,八丈小島,青ヶ島の順に,ほぼ南北に連なり,さらに南にはベヨネース列岩,鳥島など多数の無人島や岩礁が点在し,居住のみられる島は八丈小島,ベヨネース列岩,鳥島を除く9島である。このうち式根島,青ヶ島を除いた7島は伊豆七島と呼ばれるが,この称は伊豆諸島全域の俗称としても使われる。…
※「三宅島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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