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小笠原吉次 おがさわら よしつぐ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小笠原吉次 おがさわら-よしつぐ

1548-1616 江戸時代前期の大名。
天文(てんぶん)17年生まれ。徳川家康の4男武蔵(むさし)忍(おし)城(埼玉県)城主松平忠吉につかえ,筆頭家老となる。慶長5年忠吉の尾張(おわり)(愛知県)清洲城への移封にしたがい犬山城主。忠吉の死後,下総(しもうさ)佐倉藩(千葉県)藩主をへて慶長13年常陸(ひたち)(茨城県)笠間藩(3万石)藩主となるが,翌年主家のお家騒動に連座して改易となった。元和(げんな)2年8月15日死去。69歳。

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世界大百科事典内の小笠原吉次の言及

【尾張国】より

…西軍に属した貞清を除封。家康の四男松平忠吉が清須城主52万石に封ぜられ尾張の大部分を領し,犬山城には忠吉の重臣小笠原吉次が入り1万石を領した。家康の生母の甥水野分長が故地の知多郡緒河城(東浦町)9820石に封ぜられたが,5年後に三河新城(しんしろ)に移され,忠吉はほぼ尾張一国を領した。…

【佐倉藩】より

…1590年(天正18)三浦義次入封(1万石)の後,92年(文禄1)武田信吉(徳川家康の第5子,4万石),1602年(慶長7)松平忠輝(同第6子,5万石)と,佐倉の地は徳川一門の所領として重視された。譜代大名の入封は07年小笠原吉次(2万8000石)が最初で,以後譜代所領となる。10年老中就任に伴い土井利勝が入封(最初3万2400石,しばしば加増されて14万2000石),佐倉鹿島の地に佐倉城ならびに城下町を大規模に建設した。…

※「小笠原吉次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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