20世紀日本人名事典 「小笠原日英」の解説 小笠原 日英オガサワラ ニチエイ 昭和期の尼僧 瑞龍寺(日蓮宗林霊御所)12世門跡。 生年大正3(1914)年3月20日 没年昭和63(1988)年3月29日 出生地東京 経歴昭和34年仏門に入り、東京・四谷に道場を設け法華経を布教。40年、代々皇族や華族出身者が尼僧になって跡を継ぐ日蓮宗唯一の門跡寺院・村雲瑞龍寺の12世門跡となり、宝塚のプリマドンナ桜緋紗子を養女に引き取って執事長とし、瑞龍寺の再興につとめた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小笠原日英」の解説 小笠原日英 おがさわら-にちえい 1914-1988 昭和時代後期の尼僧。大正3年3月20日生まれ。小笠原長幹(ながよし)の5女。昭和35年出家。40年滋賀県の瑞竜寺門跡(もんぜき)となる。43年英法尼(もと宝塚女優の桜緋紗子(ひさこ))を養女にむかえ執事長とし,日蓮宗ただひとつの門跡寺の再興につくした。昭和63年3月29日死去。74歳。東京出身。本名は松子。著作に「捉われる心からの脱出」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「小笠原日英」の解説 小笠原 日英 (おがさわら にちえい) 生年月日:1914年3月20日昭和時代の尼僧1988年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by