高岡山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。開山は広山恕陽。前身は加賀二代藩主前田利長が、金沢
加賀三代藩主前田利常は兄利長の菩提追福のため新たに伽藍造営を計画し、正保二年(一六四五)に着手(瑞龍閣記)、承応三年(一六五四)一二月寺領三〇〇石を寄付させ、翌年三月には境内に禁制を下し、四月には寺領収納地として
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
富山県高岡(たかおか)市関本町にある曹洞(そうとう)宗の寺。山号は高岡山。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。慶長(けいちょう)年間(1596~1615)加賀藩2代の藩主前田利長(としなが)が織田信長の追善のために建立した宝円寺が前身。のち3代藩主利常(としつね)が利長の菩提(ぼだい)を弔うために寺号を改め、広山恕陽(こうざんじょよう)を開山として1645年(正保2)より18年の歳月をかけて完成した。中国の径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)を模した七堂伽藍(がらん)を完備した巨刹(きょさつ)であった。仏殿は1659年(万治2)の建立で、中国明(みん)代の禅宗建築の影響を受けた和様建築であり、また法堂(はっとう)は1656年(明暦2)利常の建立、総門は明暦(めいれき)年間(1655~58)の建立といわれる。建物群のうち、仏殿、法堂、山門は国宝に、総門、禅堂、大茶堂、高廊下などは国の重要文化財に指定されている。境内には前田利家・利長、織田信長・信長夫人・信忠(のぶただ)の霊廟(れいびょう)がある。寺宝には後陽成(ごようぜい)天皇宸翰(しんかん)(国指定重要文化財)、雪舟筆達磨(だるま)像、狩野探幽(かのうたんゆう)筆観音(かんのん)像などがある。
[菅沼 晃]
滋賀県近江八幡(おうみはちまん)市宮内町にある日蓮(にちれん)宗の寺。正しくは村雲(むらくも)瑞龍寺。通称村雲御所(ごしょ)という。日蓮宗唯一の門跡(もんぜき)寺院。尼寺。本尊は一塔二尊四菩薩(ぼさつ)(釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ))。豊臣(とよとみ)秀吉の姉、秀次(ひでつぐ)・秀勝の母羽柴智(とも)の方は、秀勝が朝鮮で戦死し、関白秀次が高野山(こうやさん)で自刃したのち、その菩提(ぼだい)を弔うため出家し、瑞龍院日秀尼(にっしゅうに)と称した。
寺伝によると、後陽成(ごようぜい)天皇が日秀に京都今出川(いまでがわ)村雲に寺地および寺領1000石を賜い、1596年(慶長1)創建。また徳川家光(いえみつ)は二条城の客殿を寄せ、寺領500石を付したという。代々、有栖川宮(ありすがわのみや)、伏見宮(ふしみのみや)、そのほか皇族・華族などの女子が九条家に入籍したのち、入寺する習わしとなっていた。京都今出川堀川にあったのを、1961年(昭和36)秀次の居城であった八幡城の旧址(きゅうし)へ移転し、おもな堂宇や庭園が移された。村雲地蔵まつり(6月第2日曜日)が行われる。
[田村晃祐]
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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