小船渡村(読み)こふなどむら

日本歴史地名大系 「小船渡村」の解説

小船渡村
こふなどむら

[現在地名]湯津上村小船渡

那珂川の右岸段丘上にあり、南は湯津上村。村名は小さい船渡場の意味といい、那珂川対岸寺内てらうち(現黒羽町)間に船渡があった。天正一九年(一五九一)の那須与一郎資景知行目録(那須文書)に「こふなと」とみえ、「かけはこ」とともに七九石二斗五升とある。慶安郷帳では那須氏領。万治二年(一六五九)検地が実施された。延宝四年(一六七六)幕府領、貞享元年(一六八四)旗本坂本領、元禄五年(一六九二)より旗本山川領、同一一年より旗本酒井・倉橋・桑山領となる(年未詳「村明細帳」船山久三文書)


小船渡村
こふなとむら

[現在地名]新発田市中曾根なかぞね町一―二丁目・小舟こふね町三丁目・小舟渡こふなと

新田にいだ村の西に位置し、旧高旧領取調帳には「小船戸村」と記される。新発田藩領で、慶長一七年(一六一二)の御蔵納同払方帳(新発田市史資料)にみえる「五斗五升 小舟津村」は当村か。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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