日本歴史地名大系 「小菅修船場跡」の解説 小菅修船場跡こすげしゆうせんばあと 長崎県:長崎市戸町村小菅修船場跡[現在地名]長崎市小菅町 下郷日本最初の近代的ドックの跡。小菅船架ともいう。国指定史跡。船台の外見からソロバンドックともいわれる。慶応元年(一八六五)薩摩の五代才助(のち友厚)が留学生を率いて渡英してベルギー商人コント・デ・モンブランと修船機関購入の契約を結び、帰国後幕府の許可を得るために鹿児島藩から山田宗次郎・若松屋善助の名義で「手軽のドック取建願」を提出。同二年四月「戸町浦小菅浦」への「トローヘドック」の建設が認可され、五月「修船場」の敷地となる畑地一千坪余の調査とその報告を命じた(長崎奉行文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
国指定史跡ガイド 「小菅修船場跡」の解説 こすげしゅうせんばあと【小菅修船場跡】 長崎県長崎市小菅町にあるドック跡。長崎市街の西部、長崎港の西岸に位置し、小規模な湾入地形を利用して造られた船舶修理施設(ドック)。明治初期の造船現場を知る貴重な遺跡であることから、1969年(昭和44)に国の史跡に指定された。船架の創設は1867年(慶応3)に五代才助(のちの友厚)を中心として進められた事業で、貿易商社大和交易の小松清廉(きよかど)(帯刀(たてわき))、イギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーが出資者となった。1868年(明治1)に竣工、曳揚機械、ボイラーなど、スリップドック一切の施設はイギリスから入れ、曳揚小屋外壁の蒟蒻煉瓦(こんにゃくれんが)は、オランダ人から製法を習得した。政府は1869年(明治2)、この修船場をグラバーから買収して官営としたが、1887年(明治20)に本工場・土地・建物・機械器具など一切を三菱に払い下げた。現在も、曳揚小屋、曳揚機械、軌道、石垣などが残り、日本最初の洋式近代ドックである。JR長崎本線長崎駅から長崎バス「小菅町」下車、徒歩すぐ。 出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報