小谷津任牛(読み)コヤツ ニンギュウ

20世紀日本人名事典 「小谷津任牛」の解説

小谷津 任牛
コヤツ ニンギュウ

昭和期の日本画家



生年
明治34(1901)年9月4日

没年
昭和41(1966)年5月30日

出生地
東京・四谷仲町

本名
小谷津 三郎

学歴〔年〕
日本大学法科,川端画学校日本画部

主な受賞名〔年〕
日本美術院賞〔昭和17年 21年〕「珠数掛桜」「うたげ」

経歴
日本郵船に勤務しながら絵を学び、昭和2年院展に初入選。3年小林古径師事、5年院展に「緩歌漫舞」を出品し院友となる。以後院展に連年入選、15年日本郵船を退社し、画業に専念。17年「珠数掛桜」が日本美術院賞を受賞、21年「うたげ」が再び同賞を受賞し、同人に推挙された。34年塩出英雄らと藜会を結成、また36年より日本美術院評議員を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小谷津任牛」の解説

小谷津任牛 こやつ-にんぎゅう

1901-1966 昭和時代の日本画家。
明治34年9月4日生まれ。日本郵船につとめるかたわら川端画学校にまなぶ。在学中の昭和2年院展で「薄暮」が初入選。3年から小林古径に師事。17年「珠数掛桜」,21年「うたげ」が日本美術院賞。叙情性あふれる女性像をえがいた。36年日本美術院評議員。昭和41年5月30日死去。64歳。東京出身。本名は三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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