小林古径(読み)コバヤシコケイ

デジタル大辞泉 「小林古径」の意味・読み・例文・類語

こばやし‐こけい【小林古径】

[1883~1957]日本画家。新潟の生まれ。本名、茂。日本美術院の中心作家。大和絵の伝統を現代に生かして新古典主義といわれる画風を確立した。文化勲章受章。

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精選版 日本国語大辞典 「小林古径」の意味・読み・例文・類語

こばやし‐こけい【小林古径】

  1. 日本画家。名は茂。新潟県出身。梶田半古に師事。日本美術院同人となり、文展審査員、帝室技芸員、東京美術学校教授を歴任。作品は、初期の浪漫主義的な傾向から、のち、端正、明澄な古典的画風に移った。日本芸術院会員。文化勲章受章。代表作に「阿彌陀堂」「清姫」「髪」「孔雀」など。明治一六~昭和三二年(一八八三‐一九五七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小林古径」の意味・わかりやすい解説

小林古径
こばやしこけい
(1883―1957)

日本画家。明治16年2月11日新潟県に生まれる。本名茂。12歳のとき松本楓湖(ふうこ)門下の青木香葩(こうは)に手ほどきを受け、1899年(明治32)に上京して梶田半古(かじたはんこ)に入門した。この年、日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会に『村上義光』が入選、続けて同会に出品して受賞を重ねた。1906年(明治39)安田靫彦(ゆきひこ)と知り合い、10年に靫彦、今村紫紅(しこう)らの紅児会(こうじかい)に加わった。文展にも出品し、12年(大正1)の第6回展で『極楽井』が褒状を受けた。14年の日本美術院再興に参加、その第1回展に『異端』を出品し、同人に推された。続いて第2回展に『阿弥陀(あみだ)堂』、第4回展に『竹取物語』、第5回展に『いでゆ』を出品するなど、美術院の中心的な画家として目覚ましい活躍を示した。22年に日本美術院留学生に選ばれて前田青邨(せいそん)とともに渡欧し、翌年帰国。30年(昭和5)美術院経営者となり、同年の院展に『清姫』を、翌年の院展に『髪』を出品して注目され、画壇に地歩を固めた。35年に帝国美術院会員、37年に帝国芸術院会員となり、44年には帝室技芸員にあげられた。またこの年、東京美術学校教授となって後進育成にあたり、これは49年(昭和24)に東京芸術大学教授に変わって51年まで続いた。50年に文化勲章を受章。昭和32年4月23日没。大和絵(やまとえ)の伝統に立脚し、それを現代に生かす新古典様式ともいえる画風は独特であり、上記のほか多くの秀作を残している。

原田 実]

『『小林古径画集』(1981・朝日新聞社)』『竹田道太郎文『現代日本美術全集5 小林古径』(1971・集英社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「小林古径」の意味・わかりやすい解説

小林古径 (こばやしこけい)
生没年:1883-1957(明治16-昭和32)

日本画家。本名は茂。新潟県高田(現,上越市)に生まれ,12歳から松本楓湖門下の青木香葩(こうは)に学び,1899年上京,梶田半古の塾に入って古径と号した。1900年より日本絵画共進会に出品して受賞を重ね,巽画会,国画玉成会で活躍した。08年には今村紫紅,安田靫彦らと紅児会を興して日本画革新を進め,第6回文展(1912)の《極楽井》で脚光を浴び,14年の日本美術院再興に際しては《異端》を出品,同人に推挙された。その後《竹取物語》《いでゆ》等を発表。22年前田青邨とともに渡欧,大英博物館において伝顧愷之筆の《女史箴(しん)図》を模写し,遊糸描を学ぶとともに写実性を深めてゆく。帰国後,この成果を《犬と遊ぶ》《機織》等に発表した。昭和初頭には鉄線描にうつり,大胆な隈の使用,華麗な色彩によって官能美を深めた《鶴と七面鳥》《清姫》《髪》,またやまと絵風の《弥勒》を描き,さらに〈明王のいない孔雀明王〉と評された《孔雀》に至って,華麗さに加え宗教的荘厳の境地に達した。院展における新古典主義の中心として,果たした役割は大きい。第2次大戦後は《猫》《楊貴妃》《菖蒲》等をのこした。
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20世紀日本人名事典 「小林古径」の解説

小林 古径
コバヤシ コケイ

明治〜昭和期の日本画家 東京美術学校教授。



生年
明治16(1883)年2月11日

没年
昭和32(1957)年4月3日

出生地
新潟県上越市

本名
小林 茂

主な受賞名〔年〕
文化勲章〔昭和25年〕,文化功労者〔昭和26年〕

経歴
少年時代、青木香葩らに歴史画を学び、明治32年上京、梶田半古の門に入り、日本絵画協会共進会に「村上義光」を出品して入選。40年第1回文展に「闘草」が入選。41年安田靫彦らと紅児会を結成、「重盛」「踏絵」などを出品。大正元年第6回文展の「極楽井」で注目された。3年日本美術院の再興院展に「異端」を出品、同人に推され「阿弥陀堂」「竹取物語」などを発表。11年美術院留学生として前田青邨らと渡欧、ロンドンで「女史箴図巻」を模写。翌年帰国。昭和10年帝国美術院会員、12年芸術院会員、19年帝室技芸員となった。また同年東京美術学校教授。戦後も東京芸大教授として26年まで在職。25年文化勲章受章。他に「いでゆ」「鶴と七面鳥」「清姫」「髪」「楊貴妃」などが有名。

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百科事典マイペディア 「小林古径」の意味・わかりやすい解説

小林古径【こばやしこけい】

日本画家。新潟県生れ。本名茂。上京して梶田半古に学び,同門の前田青邨奥村土牛らと大和絵を研究,次いで安田靫彦らの主宰する〈紅児会〉に入会して新しい日本画を研究した。1922年日本美術院の留学生としてヨーロッパに旅行し,大英博物館顧【がい】之(こがいし)筆《女史箴図》を模写。以後新古典主義風の清新な画境に到達した。1944年―1951年東京芸大教授。1950年文化勲章。代表作《竹取物語》《いでゆ》《髪》。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小林古径」の意味・わかりやすい解説

小林古径
こばやしこけい

[生]1883.2.11. 新潟
[没]1957.4.3. 東京
日本画家。本名は茂。両親の死後 12~13歳頃から日本画を習い,1899年上京して梶田半古に歴史風俗画を学んだ。同年日本美術院展に初出品以来多くの展覧会に出品し,実力を認められる。 1910年紅児会の会員となり,14年日本美術院同人,18年日本美術院評議員となった。 22年渡欧,西洋美術の研究と顧 愷之 (こがいし) 筆『女史箴図巻』の模写 (東北大学) を行なった。帰国後は 35年帝国美術院会員,44年東京美術学校教授,帝室技芸員。また帝展,新文展の審査員をつとめ,50年文化勲章受章。 51年文化功労者。作品は歴史画,風俗画を主とし,新古典的日本画ともいえる様式を確立,前田青邨安田靫彦 (ゆきひこ) とともに日本美術院三羽烏として高く評価された。主要作品『極楽井 (ごくらくのいど) 』 (1912,東京国立近代美術館) ,『阿弥陀堂』 (15,東京国立博物館) ,『いでゆ』 (18,同) ,『鶴と七面鳥』 (28,永青文庫) ,『清姫』 (30,山種美術館) ,『髪』 (31,永青文庫) ,『弥勒』 (33,山種美術館) 。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「小林古径」の解説

小林古径
こばやしこけい

1883.2.11~1957.4.3

明治~昭和期の日本画家。新潟県出身。本名茂。1899年(明治32)梶田半古(はんこ)に師事。日本絵画協会・巽(たつみ)画会・紅児会に出品し,1914年(大正3)再興日本美術院の同人となる。安田靫彦(ゆきひこ)・前田青邨(せいそん)らと院展三羽烏と称された。22年渡欧し,大英博物館で青邨と「女史箴(じょししん)図巻」を模写。35年(昭和10)帝国美術院会員,44年帝室技芸員,東京美術学校教授に就任。50年文化勲章受章。作品「髪」(重文)「清姫」。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小林古径」の解説

小林古径 こばやし-こけい

1883-1957 明治-昭和時代の日本画家。
明治16年2月11日生まれ。梶田半古にまなび,さらに今村紫紅,安田靫彦(ゆきひこ)らの紅児会にくわわる。大正3年日本美術院の再興に参加,中心作家として新古典主義とよばれる清新な画風を確立。昭和10年帝国美術院会員,19年東京美術学校(現東京芸大)教授。25年文化勲章。昭和32年4月3日死去。74歳。新潟県出身。本名は茂。代表作に「清姫」「孔雀(くじゃく)」。

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旺文社日本史事典 三訂版 「小林古径」の解説

小林古径
こばやしこけい

1883〜1957
大正・昭和期の日本画家
新潟県の生まれ。大和絵の画法から出て古典を新感覚で解釈し,新古典主義といわれた。ロマン派調を内省的な線で制御した知性的な画風は,所属の日本美術院や画壇に影響を与えた。帝国美術院会員。1950年文化勲章受章。代表作に『竹取物語』『清姫』『髪』など。

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367日誕生日大事典 「小林古径」の解説

小林 古径 (こばやし こけい)

生年月日:1883年2月11日
明治時代-昭和時代の日本画家。東京芸術大学教授
1957年没

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