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小林古径 こばやし こけい

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美術人名辞典の解説

小林古径

日本画家。新潟県生。名は茂。上京して梶田半古門に入る前田青邨安田靫彦と共に日本美術院の三羽ガラスといわれた。日本画の伝統を踏まえつつ写実と装飾を調和、簡素な表現で洗練された新古典様式を確立した。東美校教授・帝室技芸員日本美術院同人・芸術院会員文化功労者文化勲章受章。昭和32年(1957)歿、74才。

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デジタル大辞泉の解説

こばやし‐こけい【小林古径】

[1883~1957]日本画家。新潟の生まれ。本名、茂。日本美術院の中心作家。大和絵の伝統を現代に生かして新古典主義といわれる画風を確立した。文化勲章受章。

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百科事典マイペディアの解説

小林古径【こばやしこけい】

日本画家。新潟県生れ。本名茂。上京して梶田半古に学び,同門の前田青邨奥村土牛らと大和絵を研究,次いで安田靫彦らの主宰する〈紅児会〉に入会して新しい日本画を研究した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小林古径 こばやし-こけい

1883-1957 明治-昭和時代の日本画家。
明治16年2月11日生まれ。梶田半古にまなび,さらに今村紫紅,安田靫彦(ゆきひこ)らの紅児会にくわわる。大正3年日本美術院の再興に参加,中心作家として新古典主義とよばれる清新な画風を確立。昭和10年帝国美術院会員,19年東京美術学校(現東京芸大)教授。25年文化勲章。昭和32年4月3日死去。74歳。新潟県出身。本名は茂。代表作に「清姫」「孔雀(くじゃく)」。

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世界大百科事典 第2版の解説

こばやしこけい【小林古径】

1883‐1957(明治16‐昭和32)
日本画家。本名は茂。新潟県高田(現,上越市)に生まれ,12歳から松本楓湖門下の青木香葩(こうは)に学び,1899年上京,梶田半古の塾に入って古径と号した。1900年より日本絵画共進会に出品して受賞を重ね,巽画会,国画玉成会で活躍した。08年には今村紫紅,安田靫彦らと紅児会を興して日本画革新を進め,第6回文展(1912)の《極楽井》で脚光を浴び,14年の日本美術院再興に際しては《異端》を出品,同人に推挙された。

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大辞林 第三版の解説

こばやしこけい【小林古径】

1883~1957) 日本画家。新潟県生まれ。本名、茂。梶田半古に師事。日本美術院の中心作家。身近な風俗を題材に新古典主義といわれる装飾性豊かな作品を描いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小林古径
こばやしこけい

[生]1883.2.11. 新潟
[没]1957.4.3. 東京
日本画家。本名は茂。両親の死後 12~13歳頃から日本画を習い,1899年上京して梶田半古に歴史風俗画を学んだ。同年日本美術院展に初出品以来多くの展覧会に出品し,実力を認められる。 1910年紅児会の会員となり,14年日本美術院同人,18年日本美術院評議員となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小林古径
こばやしこけい
(1883―1957)

日本画家。明治16年2月11日新潟県に生まれる。本名茂。12歳のとき松本楓湖(ふうこ)門下の青木香葩(こうは)に手ほどきを受け、1899年(明治32)に上京して梶田半古(かじたはんこ)に入門した。この年、日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会に『村上義光』が入選、続けて同会に出品して受賞を重ねた。1906年(明治39)安田靫彦(ゆきひこ)と知り合い、10年に靫彦、今村紫紅(しこう)らの紅児会(こうじかい)に加わった。文展にも出品し、12年(大正1)の第6回展で『極楽井』が褒状を受けた。14年の日本美術院再興に参加、その第1回展に『異端』を出品し、同人に推された。続いて第2回展に『阿弥陀(あみだ)堂』、第4回展に『竹取物語』、第5回展に『いでゆ』を出品するなど、美術院の中心的な画家として目覚ましい活躍を示した。22年に日本美術院留学生に選ばれて前田青邨(せいそん)とともに渡欧し、翌年帰国。30年(昭和5)美術院経営者となり、同年の院展に『清姫』を、翌年の院展に『髪』を出品して注目され、画壇に地歩を固めた。35年に帝国美術院会員、37年に帝国芸術院会員となり、44年には帝室技芸員にあげられた。またこの年、東京美術学校教授となって後進の育成にあたり、これは49年(昭和24)に東京芸術大学教授に変わって51年まで続いた。50年に文化勲章を受章。昭和32年4月23日没。大和絵(やまとえ)の伝統に立脚し、それを現代に生かす新古典様式ともいえる画風は独特であり、上記のほか多くの秀作を残している。[原田 実]
『『小林古径画集』(1981・朝日新聞社) ▽竹田道太郎文『現代日本美術全集5 小林古径』(1971・集英社)』

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