日本歴史地名大系 「小郡村」の解説
小郡村
おぐにむら
熊毛半島の中間部西側に位置し、南は
芥河十左衛門家文書(「閥閲録遺漏」所収)の天文一三年(一五四四)三月一六日付とされるものに「小郡 芥河十左衛門」とみえる。
村名は「地下上申」に小郡村とみえ、同書によれば総石高二五〇石九斗余で蔵入、総家数三九軒、うち本百姓二二軒で総人口は九一人。村内の小名に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
熊毛半島の中間部西側に位置し、南は
芥河十左衛門家文書(「閥閲録遺漏」所収)の天文一三年(一五四四)三月一六日付とされるものに「小郡 芥河十左衛門」とみえる。
村名は「地下上申」に小郡村とみえ、同書によれば総石高二五〇石九斗余で蔵入、総家数三九軒、うち本百姓二二軒で総人口は九一人。村内の小名に
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