日本歴史地名大系 「佐賀村」の解説
佐賀村
さがむら
粟屋権兵衛家文書(「閥閲録」所収)の天文二四年(一五五五)一二月一三日付のものに「周防国熊毛郡伊保庄佐賀村九拾捌石」とある。「注進案」は「佐賀村は往古大内家之時代伊保庄一円之内ニ而、山を越へ来るニ阪路嶮岨なるより嵯峨とも阪とも書てわづか六石余之小村なりし由古老云伝へ候、然ルに
佐賀村
さかむら
佐賀村
さがむら
現佐賀町の南端近く、南流する
当地が早くから開けていたことは、南北朝初期すでに商人の在住がみられることからも推察される。すなわち貞和五年(一三四九)六月一五日付京都東福寺宛の同寺領
佐賀村
さがむら
佐賀村
さがむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報