朝日日本歴史人物事典 「小野一吉」の解説
小野一吉
生年:元禄13(1700)
江戸中期の勘定奉行,大目付。左大夫のち日向守。父は勝豊(御家人),母は張代氏の娘。大奥進物取次上番から表火番,御徒目付をへて,勘定に昇進,代官にすすみ,認められて勘定吟味役に昇進し,神尾春央没(1753)後の勘定所の中心となる。大坂御用をしばしば勤めた功により,宝暦12(1762)年勘定奉行に昇進,従五位下,日向守に叙任。「御益第一」の幕府経済政策の中心として活躍。明和8(1771)年,大目付に転じ,さらに没年まで西丸と本丸の籏奉行となった。御家人身分から旗本に立身出世して,布衣を許されたので「下駄サゲシ手ニ末広ノ扇哉」の句をよんだと,成り上がりの生い立ちが伝説化され喧伝された。
(山田忠雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報